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異文化共生は何故失敗するのか──文化階層モデルが示す構造的限界(Why Intercultural Coexistence Fails: Structural Limits Revealed by the Cultural-Layer Model)

 

前回行った文化の構造整理について

EUでは既に失敗が明確となり、日本でも大勢が失敗するだろう、と思っている政策――移民受入れ。特に異文化共生の理想を掲げた物は、特に明確に失敗すると、既に誰もが思っているのではないだろうか。

私は以前の記事、『文化はどこから生まれるのか――生存最適化アルゴリズムから見る文化の起源と階層構造 』において、文化の起源を、群れをつくる全ての生物が持つ“生存最適化アルゴリズム”と定義し、その戦略の方向性を“根源価値観”として5つの要素、段階を4段階の層として整理した。

即ち、根源的価値観とは――

 

 ・譲歩(調整・関係維持型)

 ・討論(合理・主張型)

 ・ルール(秩序・境界型)

 ・共感(同調・仲間意識型)

 ・序列(力・評価・階層型)

 

5要素であり、4段階の層とは

 

 ・第一層:根源価値観(群れとしての生存戦略

 ・第二相:小域文化(群れ/村・生存に必要な小規模コミュニティ)

 ・第三層:中域文化(地域/民族/宗教等・礼儀や社会性で接続されたコミュニティ)

 ・第四層:広域文化(国家/文明・根源価値観を共有した大規模コミュニティ)

 

として整理している。

第三層については、前後の第二相・第四層に食い込むことも多い領域だが、地域性が出ることもあり必ずしも広域文化になるわけではないため、第三層として整理したわけだ。

そして、『異文化受入れ』とは、僅かな例外を除き、この4層全てが合致した時にのみ成功すると言える。

――まぁ、正直奇跡の類である。

が、とりあえず今回は、その僅かな例外、『異文化共生が自然と成功する例』について、まず見ていこう。

 

異文化共生の例外的成功パターン

さて、異文化共生は、一つだけ例外的成功パターンが考えられる。

それは、受け入れる移民を『譲歩(調整・関係維持型)』に限定することだ。

当たり前だが、移民は受け入れる側にとっても負担になる、身近な価値観、身近な生活様式、身近な風習、そんな当人たちの『当たり前』を全く知らない人間が入ってくるのだから、当然の話だ。

そして、移民は受け入れられた先でも、基本的に『自分文化の根源価値観』で生活することになる。

代を重ねればそれも変わっていくかも知れないが、少なくとも初代に変化を求めるのは難しいし、次代もそう大きな変化を望むのは難しいだろう。

すると、『討論』『ルール』『共感』『序列』と言った根源価値観を持っている民族が移民した場合、移民先の根源価値観が一致しない限り、間違いなく原住民と衝突することになる。

その土地で普通に生活していた人に、どうすべきか討論を始めたり、線引きのためのルールを持ち出したりすれば、反発しあって当然と言える。

――が、『譲歩型』だけは例外になる。

何故なら彼等は、『自分たちが譲ることで、互いの関係を調整しようとする』からだ。

相手の根源的価値に恭順するわけだ。

無論、それでも違いは無数にあるだろうから、反発は起きる。

だが、譲歩をメインとする文化圏は『自分たちがその土地に移り住まわせてもらった』という前提があるため、非常に大きく譲歩するし、受け入れられるための努力を重ねることになる。それが譲歩をメインとする民族の、生存戦略(生存最適化アルゴリズム2種類以上組み合わせた、その民族の生存方針は、現在認識されている生存戦略の概念であると考える)だからだ。

そして時間が経てば、受け入れ側もその努力を認めるようになる。

かくして、多文化共生は成功するし、『互いの理解と努力があれば、共生は成功する』かのように見える。

――が、これは正直例外事例だ。

そもそも『譲歩型』の文化圏というのが極端に少ないし、これは『互いの理解と努力』とは言うが、移民する側が『多大な労力』を払い、受け入れる側は『それを認める』ことで成立している。

だが、他の『討論型』『ルール型』『共感型』『序列型』はそれが成立しない。

では、他の型の場合、何故異文化共生は失敗するのだろうか。

 

異文化共生の標準的失敗パターン

生存最適化アルゴリズムの不一致

さて、私は本当に限りなく近い生存最適化アルゴリズムを、5つの種類に分類した。

その中で、先話した『譲歩型』は、移民になった場合の例外的成功パターンになり得ると言ったが、では、残りの『討論型』『ルール型』『共感型』『序列型』は、何故失敗するのだろうか?

それは、彼等にとっての努力とは譲歩ではなく、『討論』で相手との妥協点を探ったり、『ルール』で線引きを提案したり、相手からの『共感』を求めたり、競争のような勝負で『序列』つけようとしたり、という行動になるからだ。

つまり、受け入れる側にすれば、いきなりやってきた余所者が、自分たちの生存権で自分ルールで生活を始め、その理解を受け入れる側に要求している、という事になる。

それでも『同型』ならまだ救いはあるが……これが異なる型となれば、互いの誠意が相手に伝わらないどころか、ルールを押し付けてくる悪意に見えるようになってもおかしくない。

しかも、普通この5つの型は、単独で使用されているという事はまず存在しない。

この生存最適化アルゴリズムは、大抵の場合は最低でも二つを組み合わせることで、その民族の生存戦略として発揮されるのだ。

例えば、各国の組み合わせを考えるならこんな感じになるだろう

 日本:『譲歩』+『共感』

 米国:『討論』+『ルール』

 中国:『序列』+『ルール』

 中東:『序列』+『共感』

 北欧:『譲歩』+『討論』

といった具合だろうか。

うん、この組み合わせは『私の印象』だけだと弱いので、ChatGPTに協力してもらって作ったわけだが、概ねあっているのではないだろうか?

すると異文化共生の最初の一歩は、こうした組み合わせの差異が少ない、あるいは相性の良い組み合わせを考える所からとなる。

――無作為に受け入れて、偶然で成功するようなものではないのだ。

 

第二の障害、中域文化という固い壁

さて、各国の生存最適化アルゴリズムの組み合わせ、生存戦略の方向性による相性の良さを調整したとしても、当然、異文化共生はそれで成功が決まるわけではない。

というか、それは『成功させるための大前提』であって、努力が必要なのはここからだ。

そう、多くの人が『文化』と認識する、『中域文化』が壁になるのである。

ここはその民族に、一般的に知られる文化や礼儀、宗教といった共有の価値観を形成することで、その民族を一つに繋げる接合部の役割を持つわけだが……裏を返せば、ここが一致しなければ共通の生存最適化アルゴリズムを持っていても接合せず分離する事になる。

同一の宗教を掲げ同一の文化を保有する、同一の民族であろうとも分裂することがあるのは、この中域文化における礼儀や社会性といった部分の接合が上手くいかなかったからである、と考えられるわけで――ましてや異文化ともなれば、多少近しい生存戦略を取っていたとしても、簡単に接合できるはずがない。

私としては、どのアルゴリズムが各々とどのような相性を持っているかについては、私よりもデータを持っている学者・研究者の領分であると考えるため、各々の相性について言及するつもりは無いが、中域文化については、一般論として宗教が特に大きな壁になるのではないか、とは考えている。

特に一神教は、教義が厳格になり易い分、他宗教に対して受容できる範囲が少なくなりやすいのは、想像に難くない。

礼儀や作法も、文化によって全く意味が異なったり、意味が逆転したりすることもあることを考えれば、乗り越えるのは難しい壁になる。

いやそれは努力と相互理解で何とかなる、と思う人もいるだろうが、例えば食文化で麺を啜って食べたり、口を開けて食べる、程度の事でも大勢が不快感、それも生理的不快感を覚えることが多いのに、それを相互理解で片付けようというのは、非常に難しいと言わざるを得ないだろう。

 

これまでの異文化共生が失敗してきた理由

ここまでくれば、これまでの異文化共生が何故失敗してきたのか、が明白になる。

つまるところ、『文化とは何か』に明確な指針がなく、相性の指標も無く、負担の殆どを現場の『努力』と『相互理解』に委ね、それを推進しようとしたためだ。

仮に奇跡的に上手くいった事例が発生したとしても、それは他の生存戦略や中域文化を持つ民族には通用しないため、再現性は無く、しかし以前は『努力』と『相互理解』でなんとなかった、という成功体験や成功例をもたらすことから、もっと努力を、もっと理解を、と現場に更なる圧力をかけることに繋がる。

おそらくは、世界が本来のポリコレの趣旨を逸脱し、過剰ポリコレへと傾いていったのは、この更に努力を、更に理解を、という圧力によるものだったのではないだろうか。

まぁ、私はそうした政策を担当した当人ではないので、真偽のほどは分からない。

各々が、心当たりがあるのであれば、そうなのかも知れない、という程度の話だ。

 

私の考えによれば、これまで、異文化共生は失敗するべくして失敗してきた。

だが、これを誰かの責任であるとするのは酷だろう。

国民は努力してきた、学者は正解を探し求めた、国は自分の理解の範囲で最善を尽くした。

全員が一度は美しい理想を見て、それに向おうと志した。

ただ、それが届かぬ理想である、と知るための材料が無かっただけだ。

けれど、私はこれまでの記事で、『なぜ上手くいかなかったのか』の材料を提供したつもりではある。

私はただ、自分の考えを整理しただけなので、これが誰にどう使われるかは知らないが、願わくばより良い方向に進むために使ってもらいたいと思っている。

 

まとめ

というわけで、異文化共生は何故失敗するのか、何故失敗してきたのかを、私独自の文化理解からまとめてみた。

けれど、『上手くいかない』というだけの結論ではやや寂しいので、次回は、私の文化理解から導かれる、『上手くいく可能性のある異文化共生』とはどんな物であるのか、について纏めてみたい。

 

 

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文化の起源を考察した前回の記事はこちら↓

文化はどこから生まれるのか――生存最適化アルゴリズムから見る文化の起源と階層構造

 

📘AI共読のススメ

本記事は抽象概念を多数使用しているため、やや分かり難い内容になっております。

良く分からなかった、難しかった、もっと理解を深めたい、という方は、下記の質問集をコピペして、AIに質問してみることをお勧めいたします。

 

ChatGPTリンク

 

質問集

・この記事の内容を要約してください。 

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2025/12/02/050000

 

・この記事に書かれている根源価値観の5要素にはどのような根拠がありますか

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2025/12/02/050000

 

・この記事の整理だと、各国の『生存戦略』はどのようなバランスになりますか

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2025/12/02/050000