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世界文化賞授賞のピアニスト、アンドラーシュ・シフが語った日本文化と音楽界

個別懇談会に臨む音楽部門のアンドラーシュ・シフ氏。「大変な時代だからこそ芸術家の役割はよい芸術を発信していくこと」と話した=10月21日午後、東京・虎ノ門(鴨川一也撮影)
個別懇談会に臨む音楽部門のアンドラーシュ・シフ氏。「大変な時代だからこそ芸術家の役割はよい芸術を発信していくこと」と話した=10月21日午後、東京・虎ノ門(鴨川一也撮影)

第36回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したピアニスト、アンドラーシュ・シフ(71)が10月、授賞式のために来日した。シフはバッハの解釈に定評があり、モーツァルト、ベートーベン、シューベルトなどウィーン古典派の優れた演奏で知られる巨匠。合同記者会見と個別懇談会の場では、受賞の喜びとともに、言葉に熱をこめて日本文化と音楽界の現状への思いを語り続けた。「日本の文化に誇りを持って大切にしてほしい。存在を当たり前のこととしてはいけません。日本的な趣向を守るべきだと思います」-。

音楽は人を結びつける

シフは1953年、ハンガリーのブダペスト生まれ。5歳からピアノを弾き始め、フランツ・リスト音楽院で、民謡に親しむことを重視するコダーイ・メソッドで教育を受け、バルトークの練習曲集「ミクロコスモス」などが教材だった。79年、ハンガリーを離れ、イギリスに渡る。99年、室内オーケストラ「カペラ・アンドレア・バルカ」を創設。イギリス王立フィルハーモニー協会金賞など受賞多数。

世界文化賞の受賞者がそろった合同記者会見でシフは「受賞は誠に光栄です。私は他者が書いたものを再現することしかできません。残念ながら才能がなくて創造者にはなれませんでした」と演奏家の立場をわきまえ、謙虚に話した。そして「音楽はショービジネスではありません」と続けた。

個別懇談会の場で、シフはさらに説明を加えた。

「芸術はエンターテインメントではありません。より深い次元があります。生の音楽を聴くコンサートは学びを経験できます。これは唯一無二の経験です。聴衆が一緒に経験することが大事なのです。音楽は人を結びつけることができます」

「コンクールは消えてしまえばいい」

会見と個別懇談会が行われたのは、第19回ショパン国際ピアノ・コンクールの結果が発表された直後だった。コンクールについて問われると、真っ先に「ベリー・バッド」という言葉が口をついて出た。

合同記者会見に臨む音楽部門のアンドラーシュ・シフ氏(中央)=10月21日午後、東京・虎ノ門(川口良介撮影)
合同記者会見に臨む音楽部門のアンドラーシュ・シフ氏(中央)=10月21日午後、東京・虎ノ門(川口良介撮影)

「私もオンラインで視聴していましたが、退屈してしまいました。コンクールは消えてしまえばいい。こういうことを言うのは少数派でしょう。音楽はスポーツではありません。芸術なのです。スポーツは速さ、距離などを測ることができますが、芸術は計り知れない要素の集合です。審査員のいるスポーツのフィギュアスケートなどは芸術に近づくと問題が生じるのです。人の趣向、エゴ、嫉妬心などの感情が入り込みます。芸術で測れるものがあるでしょうか。主観的な趣向だと思います」

シフはコンクールをキャリアのばねに利用してこなかった。著書「静寂から音楽が生まれる」によると、かつて「文化省に呼び出され、『同士シフよ、あなたはこの国を、ハンガリーを代表してチャイコフスキー国際コンクールに参加するのです』と言われたこと」があった。当時、ハンガリーはソ連の同盟国で、コンクールを拒否する自由はなかったという。

シフは今回のショパン・コンクール優勝者、アメリカのエリック・ルー(27)の演奏をカーティス音楽院で聴いている。ルーは2018年にリーズ国際ピアノ・コンクールで優勝しているが、シフは「それからキャリアを築けなかったのはどういうことなのでしょう」と疑問を呈する。

「いくつ優勝すれば十分なのですか。多くのコンクールで1位を取った人は今どこにいるのでしょうか。消えてしまったのですか。私はぼやいているだけかもしれません。今の私がショパン・コンクールに参加しても優勝できないと思います。しかし、何年もかかりましたが、名誉あるこの世界文化賞を受賞しました。このことのほうがうれしいです。コンクールの意義は何なのかと思います」

現実的にコンクール入賞者のほとんどが忘れられる。コンクールと音楽の本質は違うのだ。

音楽に必要なのは「熟成」

シフは「音楽とワインは似ているところがある」と話す。その心は「どちらも熟成しなければならない」点だ。

「私は20歳のときベートーベンのソナタを学びました。今日の演奏とは全く違うものです。私の考え方、コンセプトが変わったわけではありません。さまざまな経験によって私という人間が変わったのです。若い音楽家たちに何か言うことがあるとすれば、充実した人生を送ってほしい、ということです。賢く練習すれば1日3時間で十分と思います。残りの時間は美術館や博物館に行き、映画を見て、友人と話をして、森を散歩してもよいでしょう。すべてのことが音楽に貢献します」

新型コロナがはやり始めコンサートがほとんどなくなった2020年3月、「明るい希望をもって乗り越えていきたい」として行った東京オペラシティでのリサイタルが印象に残る。来年3、4月に日本ツアーを行うことが決まっている。

「日本は世界最高峰の趣味、テイストを持つ国だと思います。生け花、食事のプレゼンテーション、パッケージなどすべてが芸術的な美しさと思います。今、ホテルのエレベーター、お手洗いでも音楽が鳴っています。それは私から言わせればただの騒音です。人は静寂を恐れているのでしょうか。日本ではまだ音のない場所があることにホッとします」(江原和雄)

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