お疲れ様です ジョンです
キッチンの棚を開けると、鯖缶が整列している。
なぜこんなに増えたのか?
スーパーで「安い!」と思った記憶は一切ない。
安かったのは僕の扱いだけです。
鯖缶、最近ちょっと天狗になってないかな?
棚に鎮座してるこの態度、完全に“大物感”出してる。
君、いつからそんな“高級感のある青魚”を名乗るようになった?
昔はもっと「庶民の味方です!」って顔してたのに、最近はスーパーの棚でやけに凛々しい。値札も凛々しい。財布が震える。
でも鯖缶だけは裏切らない。
人間関係は裏切るし、天気も裏切るし、給料日は毎回期待を裏切るのに、鯖缶だけは賞味期限まで律儀に待ってる。
そこは評価する。
ただ、その代わり棚のスペースを圧迫してくる支配的態度はいただけない。
今日も仕事中、「これ絶対に誰か別の人に振るべき仕事だよね?」が、なぜか真っ先に僕のところへ飛んでくる。
まるで不満の宅配便。再配達は無料。受け取り拒否は不可。
毎回、送り主の名前だけはハッキリしてるのに、責任の所在だけはぼんやりしてる。
そんな宅配いらない。
家に帰ってくると鯖缶は朝から1ミリも動いてない。
それなのに存在価値は揺るがない。
正直腹が立つ。
だって、賞味期限は長いし価値は変わらないし、
「そこにあるだけで許される存在」
なんだよな。
僕は今日、存在してるだけで怒られたのに。
鯖缶は並んでいるだけで褒められ、
開ければ評価が上がる。
缶は凹んでも味は変わらないが、
僕は凹んだらそのまましばらく味がしない。
鯖缶を温めて湯気が立つと、今日のストレスがわずかに薄まる。
ただし“わずかに”だ。
9割はそのまま残る。
残るんかーい、と思いつつ、その1割に救われる。
中年のメンタルには大事な1割だ。
缶を開けた瞬間、
「ピュッッ!」
って飛んでくるあの汁、避けられない。
ジョン・ウィ○クでも被弾するレベルの正確さ。
白Tに落ちた瞬間「あ、今日はそういう日ね」と悟る僕。
結局鯖缶って、未来の自分に向けたメッセージだと思うんです。
「どうせ疲れて帰ってくるでしょ?
ほら、これでも食べてなんとかしなさいよ。」
この“雑だけど愛のある気遣い”。
誰にも見返りを求めず、未来の僕だけを淡々と救う青魚。
しかも常温保存OK。タフ。
こんな存在、人生において他にあったっけ?
でも棚を見てると、
“ああ、ここだけは裏切らない世界だな”と、謎の安心感が湧いてくる。
悔しいけど、鯖缶に勝てない自分がいる。
鯖缶を開けながら、今日も思う。
「人生、しんどいな。でもメシうまいな」
この雑なバランス感覚のおかげで、まだギリ生きてます。