令和版「希代の悪法」が誕生するのか、高市新首相肝いりで関心高まるスパイ防止法 制定100年、終戦で廃止された治安維持法再来の懸念

皇居での任命式と認証式のため、首相官邸を出る高市早苗首相=10月21日

 国の重要情報を守るために必要だ―。自民党の高市早苗首相の誕生で、「スパイ防止法」への関心が高まっている。高市氏はこれまでの総裁選などで、この法律の制定を誓い、自民と日本維新の会の連立政権合意書にも「年内の検討開始」が盛り込まれた。
 しかし、為政者の恣意的運用で国民の権利が侵される恐れがあると警告する専門家もいる。
 思い起こされるのは、今からちょうど100年前の1925年に制定された治安維持法だ。思想や信教の自由、社会運動などを制限し、戦争遂行にまい進していた当時の政府に盾突くものは根こそぎ取り締まられた。法解釈の拡張に次ぐ拡張で「希代の悪法」「悪法の権化」と呼ばれたという、あの法律だ。
 スパイ防止法制定をめぐる議論は、治安維持法の再来を予見するものとして警戒すべきなのか。治安維持法に詳しい日本近代史研究家の荻野富士夫さん(72)に聞きに行った。(共同通信=松本鉄兵)

小樽商科大名誉教授の荻野富士夫さん

▽「成立可能な状況に」

 「本当にそんなところまで来てしまったのかと思いましたよ」

 荻野さんがまず憂えたのが、参政党の神谷宗幣代表による治安維持法の肯定とも受け取れる発言だ。

 「『悪法だ』『悪法だ』と言うが、共産主義者にとって悪法だろう」(7月12日の鹿児島市での街頭演説)

 荻野さんは顔をしかめる。「悪法もまた法なりとの考えが厳然としてあるということですね」。
 続けて指摘したのが、参政党が政策に掲げているスパイ防止法の制定だ。「自民や野党の一部に同調者がおり、与党がまとまれば、数としては成立可能な状況になっている」と見る。
 事実、高市氏はことし5月、自身がトップを務める党の調査会としてスパイ防止法の制定を求める提言を石破茂首相(当時)に手渡した。同法については党内に慎重論があるが、高市氏は自身のSNSで「日本でもタブー視しないで法整備をする必要がある」と強調した。国民民主党も先進7カ国と同レベルの法制定を提唱し、日本保守党も法整備を訴えている。

▽現行法では不十分?

 第2次安倍政権以降、政府の判断で秘密の範囲が広がり国民の知る権利の妨げとなる「特定秘密保護法」(2013年)や、犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法(2017年)が成立した。
 ただ近年は、サイバー空間での国際的な諜報活動や民間先端技術の海外流出への懸念から「現行法では不十分だ」との意見が出ている。

 こうした推進派の言い分について、荻野さんの見方はこうだ。
 「情報漏えいの防止ばかりが強調されるが、本音は別のところにあるのではないか」
 スパイ防止法については、各党とも検討段階で、具体化していない。ただ、規制対象になるスパイ行為の内容が不明確な法律を、権力者が意のままに運用すれば、国民の思想や内心にまで踏み込まれる可能性がある。プライバシーを含め重大な権利侵害につながる恐れもある。戦前の治安維持法に通じるとの懸念がくすぶるのはこのためだ。
 荻野さんも「国の方針に異を唱える動きを取り締まったのが治安維持法だ。既にある特定秘密保護法や共謀罪に屋上屋を架し、現在は存在しない治安維持法の役割を補完しようとしているのが、スパイ防止法制定の隠されたもう一つの狙いではないか」と言う。

▽最初は慎重に運用、やがて…
 治安維持法は1917年のロシア革命を受け、過激思想や共産思想が日本に広がるのを防ぐために立案された。当初、取り締まり対象と想定したのは主に無政府主義者や共産主義者だった。しかし定義が曖昧だとして廃案(当時の名称は「過激社会運動取締法」)になった。
 政府が持ち出したのが「国体」という言葉だ。荻野さんによると、このとき、国体は「国家の仕組み」の意味で説明され、これを破壊するものを取り締まり対象とした。政府は国会で「健全な社会運動には適用しない」と反対議員を説得し、1925年に成立を見た。予防措置との色合いが濃く、最初の3年間は慎重に運用された。
 転機となったのが1928年、非合法だった共産党などを「国体変革」の結社と見なして全国で約1600人を一斉検挙した3・15事件だ。
 これを好機と捉えた政府は、治安維持法違反などを取り締まる特高警察や「思想検事」の拡充に乗り出し、この年には「国体変革」を目的とした結社行為の最高刑を死刑に引き上げる改正が行われた。
 1933年には「蟹工船」などのプロレタリア文学で有名な小林多喜二が特高警察に逮捕、拷問されたのち獄中で亡くなった。

治安維持法違反事件の論告求刑が行われる東京地裁に押しかけた傍聴人と被告の家族ら=1932年7月(日本電報通信社撮影)

▽“副産物”
 荻野さんによると、治安維持法が終戦後に廃止されるまでの20年間のうち、取り調べ調書のでっち上げを含む不当な捜査や拷問などが一層顕著になったのは、後半の10年だ。日本が日中戦争を経て太平洋戦争(1941~1945年)へと突入していく時期に重なる。
 国が総力戦体制を敷く過程で、戦争遂行に邪魔なもの、障害と見なされるもの全てが取り締まり対象になっていったという。「国体そのものが当初の解釈から膨張を続け、捉えどころのないものになっていったのです」
 そうした中、反戦を訴えれば隣組や町内会によってコメなどの配給を止められることもあり、国民は「聖戦」などというものを渋々でも信じ込まざるを得なくなったのだろうか。
 荻野さんが、さらに治安維持法の“副産物”の一つとして挙げたのが「強制的道徳律」という言葉だ。軽微であっても治安維持法の事件に関われば「不逞の輩」とのレッテルを貼られ、学校を退学させられたり、結婚が破談になったりする事例もあったというのだ。「女性が摘発された際には『赤い女性』などと新聞が興味本位で取り上げることもありました」
 荻野さんは「治安維持法は刑罰など条文上の話にとどまらず国民生活を統制するものとして作用していった」と語る。「八紘一宇」という考え方も、治安維持法が拡大解釈した国体から派生してきたといい、戦争の目的となる「大東亜新秩序」を正当化する理念にもなったと見る。

パレスチナ自治区ガザの解放を求め、ニューヨークで行われたデモ。アメリカのトランプ大統領とイスラエルのネタニヤフ首相の似顔絵が見られた=9月

▽「いずれ拡大・増殖していく」

 スパイ防止法をめぐる昨今の政治家の発言について、支持する有権者がかなり存在するとして「問題の根は深い」と、荻野さんは憂慮する。恐怖が支配した暗く、息苦しかった時代を知らない世代が増えていることが背景にあるとみられる。
 為政者がより大きな権力を振りかざして、影響力を行使しようとするのは、日本に限らない世界的な風潮なのだという。
 例として挙げるのが、治安改善を名目とした各都市への州兵派遣に代表されるアメリカのトランプ大統領の強権的な政治手法だ。ロシアのウクライナ侵攻や、ハマスによる奇襲が発端となったイスラエル軍のパレスチナ自治区ガザへの地上侵攻、そして昨年12月の韓国の尹錫悦前大統領による「非常戒厳」宣言も同様の趨勢を示している。
 意に沿わないもの、批判、抵抗しようとするものを力で押さえつけようとするベクトルは、21世紀の今も普遍的にある。「そうした流れの中で、『新しい戦前』などと表現される日本の状況も捉えるべきではないでしょうか」

 そして荻野さんは最後に改めて強調した。

 「悪法は法にあらず。治安維持法的なものは一度作ってしまうと、それがすぐに力を発揮することはなくても、いずれ拡大、増殖していくと考えるべきです。だとすれば、そういうものはそもそも作らせてはいけません」

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 おぎの・ふじお 1953年、埼玉県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。文学博士。専門は日本近代史。小樽商科大学商学部教授を務め、2018年退官。現在は同大名誉教授。著書に「検証 治安維持法」(2024年、平凡社)、編著に「治安維持法100年」(2025年、大月書店)など多数。

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