昔のお笑いあるあるだが、とにかく過激なことを言えば良いと思ってる連中が多かった。
当時は、逆に、とにかく子供騙しみたいな、ほんわかしているというよりダサいだけ、というお笑いも流行っていたが、それへの反動勢力が、ビートたけしやダウンタウンみたいな過激な方向のお笑いに走り、実のところ何が面白いのか分かってなさそうな奴らが、流行ってるというだけで形だけ真似していた、というか。
最近のマスゴミ工作員は、流行りを拒絶すると「逆張りがー!」とレッテルを張って、自分たちのステマを、モラハラしてまで押し付けようとウザったいが、実は、何が良いかわかってもないのに流行に乗っかろうとする奴が、一番ダサくてしょーもなく見えるものなのである。
90年代後半以降、若手芸人を出しまくって採点する番組が流行りだしてから、日本のお笑いは一気にレベルアップしたが、それ以前は、一部を除いてオジサンの演芸会だった。
まあ、今も、より広くセンスのあるお笑いが普及しているだけで、やはり同じような弊害は存在する。
ただ、生きている時代にドップリ漬かっていると分からないのだ。
ツッコミとは、ボケのレベルに合わせないといけない。
なんでも辛辣にツッコメば良いわけじゃない。
そこまで常識から逸脱していないボケに、辛辣にツッコみ過ぎると、つまらないを通り越して胸糞が悪くなる。
現代でも、本来ならそこまで痛烈にツッコんではいけないことを、あまりにもそういうお笑いを見過ぎたせいで、ツッコんで良いと感覚が麻痺している連中が沢山いる。
それは、マスゴミが、悪質なフィクションを大量に作って、価値観をバグらせようとしているからだ。
特に、漫画や映像作品では、大したこともないボケ発言をした人物だけを、やたらドアップで写して、さも物凄い常識知らずで恥知らずな人のように演出しながら、ツッコミの方は画面の端っこに描かれるか、写しもしないことで、その攻撃性を和らげる演出が多用される。
つまり、そういうギャグコンテンツを見過ぎた結果、些細な発言に、過激すぎるツッコミをして良いと勘違いしているキッズが沢山いるのである。
しかも、自分ではそれが面白いと思っているのだ。
昔の駄目なお笑いは、そもそも何が面白いか本人さえ分かってなさそうな奴らがやってたが、今の駄目なお笑いは、本人は面白いと思ってやってるという違いがある。
そういうお笑いは、本来なら、同じ感覚を共有している人たちの中なら面白いものなのだが、最近のキッズは、脳内自己想像図が漫画だから、他人と見えてる自己像が乖離しているため、誰にとっても面白いものにならないのである。
そういうキッズは、やたらグイグイきついツッコミを押し付けてくる、鈍感で攻撃的なサルにしか見えないが、鈍感と言うより、リアリティを失っていて、自分が見えてないのだ。
もっと気の利いたギャグマンガだったら、ボケとツッコミを並列に置く。
ボケとツッコミのセリフを並列に置いて、それで面白ければ、それは本当に釣り合いが取れているという証拠だ。
大抵、ボケ役の顔だけをドアップで写すような演出を多用する漫画家は、ちゃんとしたボケが思いつかないから、些細な発言を凄いボケっぽく見せるああいう演出に依存するのである。
まあ、漫才やコントやバラエティ番組なんかは、並列に並んでいてさえ感覚が狂っていることが殆どだが。
その原因は、ボケ役を、よりゴツくてデカかったり、ふてぶてしい表情が出来る奴にやらせるせいである。
テレビのお笑い芸人を見れば一目瞭然だが、気の弱そうな方は大体ツッコミだ。
昔のギャルゲやラブコメ漫画が、暴力ヒロインをやたら量産していたのは、ボケ役を男、ツッコミをヒロインにするせいで、どんどんツッコミが過激化するからだった。
特に九十年代くらいまでは、ボケ役の男は、殆ど性犯罪一歩手前のボケをかましてくるから、より攻撃的なツッコミじゃないと釣り合わなかったせいで、ヒロインがハンマーで殴るのが当たり前になり、どんどん感覚が麻痺していった。
それもマスゴミの罠だったんだろうが。
一緒に感覚が麻痺って行けた古参はともかく、途中から入った人にとっては、何でやたらヒロインが、些細なことで暴力をふるいまくっているのか、わけが分からなかったろう。
まあ、00年代には、まるで当てつけか、「どうせお前ら感覚マヒしてるからこれくらい平気でしょ? 新参との間に感覚の違いを思い知らせてやるw」という目的なのか、異常な暴力ヒロインを拵えてくる連中が沢山いて、古参でさえ不満を貯めていたが。
最近のお笑いは、また低レベル化しているが、原因は、昔と逆の理由で、辛辣にツッコメば面白いと勘違いしている奴らが増え、それに嫌悪感を抱いた多くの視聴者が、当たり障りのないツッコまないタイプの芸人を、罪がないという理由だけで持ち上げているせいだろう。
そういう過激なお笑いで感覚が麻痺した連中は、イジメみたいなお笑いに走って、自分ではオモロイことしてるからワルないと思っているので、注意しても逆恨みするだけなので、嫌悪するのは当然の反応だが、本人がテレビばっか見過ぎなせいもある。
そうしたイジメ笑いは、テレビ全盛期の00年代から10年代前半くらいまでは酷かったが、テレビの人気が没落した現在では、ごく一部のテレビ依存キッズ以外、そこまでの悪質性はない。
子供には、本当の意味での健全さを求める生存本能が多少ともあり、自由にインターネットをさせている限り、悪質なお笑い芸人なんかに行かないようだ。
まあ、現代では、面白い奴ほど、色んなお笑いを見まくって感覚が麻痺して、攻撃的で自己破滅的になってるので、大体あんま面白くない当たり障りないユーチューバーなんかが人気を得て、面白いキッズも減ったように思えるが。
だからマスゴミは、昔は自分らがバカにして叩きまくってたPTAみたいに、子供のインターネットを規制しろと喚き散らしている。
規制した結果は、自分たちの悪質なマスゴミコンテンツに誘導し、簡単に扇動して破滅させられる面白いアホキッズを量産して、パクるだけパクってから潰したい、というわけだ。
結局のところ、90年代後半以降のレベルの高いお笑いは、人々の感覚をマヒさせ、攻撃的で自己破滅的ないじめっ子を、洗練された人気者にしてしまった。
それ以前の虐めっ子と言うのは、まさにジャイアンみたいな、強引で図々しくて鈍感なだけで、ツッコむよりもツッコまれることの方が多いアホガキだった。
それを最も凄そうに見せていたのがビートたけしだ。
それが、お笑いのレベルが上がると、ジャイアンはブタゴリラにされる一方、より抜け目なく狡猾で知的なツッコミ役を、気の弱い青年から、スマートなジョックに変身させた。
ビートたけしでさえ、昔の破壊的な天才親分から、やたらド突かれまくってるボケ老人にしか見えなくなった。
洗練されたツッコミの普及は、より過激で辛辣なツッコミを受け入れやすくする土壌を作った上で、やたら過激にツッコメが良いと思ってる攻撃的なアホの鉄くずを、高価で危険な劣化ウラン弾に変貌させた。
鉄くずの山は、宝石も隠すが、ウラン鉱石も見つからないようにしていたのだ。
昔も一部いた、洗練されてるけど攻撃的なツッコミいじめっ子は、かつてはその他のダサくてつまんないツッコミをするアホと一緒くたにされて見向きもされなかったのが、一気にモテ男に早変わり。
ツッコミは、ただでさえオフェンシブな行為なため、たおやかさが本来必要であり、だから気の弱そうな相方にさせるものなのだが、過激なお笑いで麻痺させられた感覚では、そんなものは必要とされなくなった。
大体、強そうで他の男よりマウントを取れる男が、女からモテる。
その結果、攻撃的なツッコミ役が最もモテるのは、理の当然である。
自然で健全なコミュニティなら、その集団により貢献している男が持ち上げられ、他より上に立って、モテるようになるわけだが、お笑いによって感覚が支配された世界では、破壊的で有害でも、面白ければモテる。
まあ、それより前は、ヤクザ映画漫画によって価値観が洗脳され、自己中で横暴なだけの屑がモテていたので、それよりはマシだが。
それも、日本のコンテンツが好きな層ほど、そういう最悪な状態にあって、そうじゃないのは洋画好きな売国女たちくらいで、彼女らは、当時のハリウッド俳優みたいな、キザで彫りの深いダンディなハンサムに惚れていた。
そして、そういう女は、西洋ヤリチン的な価値観で洗脳され、貞操観念は壊滅的で、大人の付き合いというのを勘違いした挙句、モテるだけの屑男に性奴隷扱いされて、捨てられて終わりだった。
ヤクザ男が好きな女も、貞操観念はどっこいどっこいだったが、見た目に悲惨で惨めな世界に生きている割には、ヤクザみたいな男は、彫りの深いダンディハンサムよりはまだ沢山いるので、DVと虐待だけ我慢すれば、ある程度は身持ちを持てた。
どちらにせよ、マスゴミの影響を受けすぎたミーハー女たちは、碌な目には合わなかったわけだが。
後者は場末のバーとかに居て、前者は、高級ホテルで高級ホステルぶれたが、結末はより悲惨。
身の回りを見回してみても、彫りの深いダンディハンサムと、その周りに群れてキャーキャー言ってた、あの日本人顔のミーハー女たちは、今じゃどこにも見当たらない。
大体、死ぬまで使い捨てられたわけだ。
結果的に、彫りの深いダンディハンサムも消えていなくなったわけだが。
メディアには、代わりに、幼顔の中性的アイドルが溢れているが、彫りの深い西洋人顔アイドルを宣伝しまくったら、思いがけずそういうのが好きな女が一気に減ってしまったので、今度はアジア人顔が好きな女を釣って、生贄にしたいというわけだろう。