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なぜ「非常用冷却装置の停止」を見過ごしていたのか? 背景にある危機感の欠如と日本の構造的問題を明かす

NHKスペシャル『メルトダウン』取材班

東日本壊滅はなぜ免れたのか?  取材期間13年、のべ1500人以上の関係者取材で浮かび上がった衝撃的な事故の真相。他の追随を許さない圧倒的な情報量と貴重な写真資料を収録した、単行本『福島第一原発事故の「真実」』は、2022年「科学ジャーナリスト大賞」受賞するなど、各種メディアで高く評価された。文庫版『福島第一原発事故の「真実」検証編』より、その収録内容を一部抜粋して紹介する。

『福島第一原発事故の「真実」検証編』連載第12回

原子炉の破綻が刻一刻と進む中、放射線量という“最後の警告”は確かに存在していたーー。しかしながら、その重大なサインは見逃され、決定的な判断が遅れてしまったのだ。なぜ現場は異常を見抜けなかったのか。その陰に潜む構造的な盲点と、40年動かさなかった「最後の砦」をめぐる真相に迫る。

『事故後「原子炉の水位計が誤っていた」と判明!…爆発まで刻一刻と時が迫る中、吉田所長らを翻弄させた「予想だにしない出来事」』より続く。

午後5時50分の情報を知っていれば…

午後11時には、原子炉建屋二重扉前で1時間あたり1.2ミリシーベルトの高い放射線量が測定される。水位計のデータと矛盾するため、吉田は疑心暗鬼に陥るが、イソコンが動いていないと確信するのは、格納容器圧力が通常の6倍に上昇していたデータが判明した午後11時50分になってからだった。

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原子炉の中で起きていた現実は、吉田が断片的に得られたデータをつぎはぎしながら思い描いていた姿とはまったく異なり、メルトダウンへと突き進んでいたのである。免震棟の動きと「サンプソン」の解析を重ねてみていくと、原子炉の異常を早くから知らせていたデータは、原子炉建屋で実際に測定された放射線量だったことが浮かび上がってくる。電源喪失でデータが極めて乏しく、原子炉の中がまったく見えなくなった危機の中で、吉田ら免震棟がもっと向き合うべきデータは、放射線量の実測値だったのではないだろうか。

調書の中で吉田は、通常であれば、エリアモニターと呼ばれる放射線の測定器が原子炉建屋のいろんな場所の放射線データを連続的に測定しているため、線量が高くなった場所があれば、近くの配管などを調べて、異常がわかると話している。

しかし、電源喪失で「計器がまったく生きていないから、何の想像もできなかった」と打ち明けている。電源喪失でエリアモニターが使えなくなった時点でほかの方法はなかったのだろうか。

取材に対して、当時免震棟にいた放射線管理部門の複数の社員は、中央制御室から放射線異常の情報が入ってきたのは午後9時51分の原子炉建屋二重扉前の計測値が初めてだったと話している。午後5時50分にイソコンを確認にいった運転員2人がガイガーカウンターが異常を示したため引き返したという情報は免震棟で共有されていなかったとみられる。

取材に対して、当時免震棟にいた幹部の一人は、午後5時50分の情報を知っていれば、免震棟から放射線測定を担当する社員を原子炉建屋に派遣して、細かな放射線測定を実施し、もっと早い時点で原子炉建屋の放射線異常に気が付く可能性はあったと指摘している。原子炉建屋の放射線量の実測値は、原子炉の異常を察知し、イソコン停止に気が付く道を開く重要なデータだった。

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