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大学教科書の可能性は 有斐閣・松井智恵子 (編集者リレーエッセイ第11回)

記事:じんぶん堂企画室

一歩先ではなく半歩先

「大学生向けの教科書を作っています」――自己紹介でこう話すとき、とくに人文書の出版社の集まりでは、少し気が引ける。人文書は、著者の魅力が溢れ出るストレートでマニアックな本が勝負する世界というイメージがある。だから本のタイトルや装丁、帯なども凝っていて、思わず読者の手がのびるようにできている。
 一方、ジャンルは同じ人文書でも、教科書の形で本を出すには、一定程度決まりがある。各学問で了解されているスタンダードを踏まえた知識を、読者にわかりやすく説明し、そのうえで半歩先を行く著者の魅力とメッセージを出していただく。一歩先ではなく半歩先におさえることがポイントで、そうすれば読者も置き去りにならない。そこから深遠なる学問の森へと進む読者に向けては、さらに上級の教科書を。そして最先端の議論をまとめる論文集も、大学のゼミで必読書として読まれるのであれば教科書と考える。
 このようにして有斐閣に入社以来、社会学や社会福祉、教養科目や教育学の教科書を作り続けてはや30年。学生時代、たいして真面目に勉強していなかった自分が、ここまで大学の教科書と付き合うことになるとは思いも寄らなかった。

有斐閣の教科書シリーズ。上2冊はアルマ・シリーズ、左下2冊はy-knotシリーズ。右下のストゥディア・シリーズの『はじめてのジェンダー論』はもうすぐ改訂版が出る予定
有斐閣の教科書シリーズ。上2冊はアルマ・シリーズ、左下2冊はy-knotシリーズ。右下のストゥディア・シリーズの『はじめてのジェンダー論』はもうすぐ改訂版が出る予定

 お陰様で教科書づくりの奥深さ、おもしろさを実感してもいる。教科書といっても検定があるわけではない。何をその教科書で伝えるのか、どのような章構成にするか、読者は初学者か専門科目受講者か、その学問のどの部分・どのテーマをとくに伝えたいのかなど、あれこれ考える。そして今の大学生に響く言葉で書いていただける著者とは。
 真っ先に、ぜひ書いていただきたい著者が思い浮かぶ。その方はたいてい強烈なメッセージを放つ方であり、なかには「教科書はちょっと」と難色を示されることもたまにあるが、そこからが企画のスタート。最初はなかなかお引き受けいただけなくても、後々定番教科書や基本書として長く読み継がれる本になることがある。

 教科書のタイトルは、王道でありつつ本のコンセプトが伝わるようなタイトルを考える。今年4月刊の『社会学概論』(武川正吾・佐藤健二・常松淳・武岡暢・米澤旦著)は、ストレートで潔いタイトルが新鮮と評判になった。『社会学の歴史Ⅰ・Ⅱ』のようにシンプルなタイトルは著者名とのセットで記憶される。この著者がこのタイトルでよくぞ書いてくださった!という反響が届くと嬉しい。奥村隆先生には『社会学の歴史』で、社会学の通史を一人でお書きいただいた。マルクス、デュルケーム、ウェーバー、ジンメルからフーコー、ブルデュー、ルーマンなど、社会学の巨人に1章ずつ独自の描き出し方で迫り、常人のなせる技ではない。山田真茂留先生、有田伸先生、中村英代先生に編集いただいた『いま、ともに考える社会学』は、読ませる内容はもちろんのことだが、サイズ感にこだわって作っている点も特徴である。教科書はたいてい260ページほどでなるべく2000円台をめざして作っている。企画時に山田先生から、今の学生さん向けに180ページ以内・1000円台で作りたいとうかがったとき、実現は難しいのではと思っていた。原稿枚数が超過して予定通りにいかないことが多いからである。アイデンティティ、就職、スポーツ、宗教、移民、相互作用、資本主義といった現代社会のトピックを彩り豊かに社会学で描き出した本書は、見事170ページでできあがった。実際に見本を手にするまで、そのサイズ感を自分でも想像できていなかった。衝撃的な本の薄さを、ぜひ読者にも手に取って実感してほしい。

大学という場――信じられる人との対話

 著者は大学の先生が多いので、よく大学の研究室に出入りする。このリレー・エッセイのバトンを渡していただいた岩波書店の藤田紀子さんとも、東京大学で大沢真理先生の研究室でお会いしたのが最初だった。
 研究室でのなにげない会話や、お邪魔する研究会での議論、盛り上がったテーマをきっかけに、率直に疑問や思いを先生にぶつけて企画へと結びつけていくこともある。今の学生さんが何に興味があり、社会をどうとらえているか、そして先生はその学問で何を伝えたいのかをうかがいながら、そこに私の思いも託して本の形にしていく。

 上野千鶴子・江原由美子編『挑戦するフェミニズム』は、江原由美子著『持続するフェミニズムのために』を上野先生が激賞しているのを読書会で目のあたりにして、フェミニズムの新しい理論形成の本を、上野先生と江原先生の編集でつくりたい!と、同時にお二人にお願いし、即座にご快諾いただいた。そのときから私の興奮は2年半経った今もずっと続いている。
 学生時代に上野先生の講義を受けたときは、教室の後ろの方で必死に追いかけた。たまにリアクションペーパーが読まれた時は嬉しかったし、講義の口調や展開の鮮やかさは今でも覚えている。こうしてまさか本をお書きいただける日が来るとはと、感無量だった。確かにたいへんな本づくりではあったけれども、すべて喜びでもあった。錚々たる先生方とのオンライン会合は毎回刺激的で楽しかった。あるときは岡野八代先生がシャンバースの「選択のフェティシズム」を紹介され、リベラリズムに通底する「個人の選択の重視」こそが家父長制を永らえさせたことについて語り合い、あるときは『リーン・イン』(シェリル・サンドバーグ著、川本裕子・序文、村井章子・訳、日本経済新聞出版)に対して意外にも肯定的な意見が多く驚いた。刊行半年後には、ウィメンズアクションネットワーク(WAN)でオンラインイベントも開催され、落合恵美子先生のご登壇と書評もいただけた。日本フェミニスト経済学会主催の読書会も5回にわたって開催され、様々な読み方をうかがえるまたとない機会であった。大学は対話の場であり、そこから新たな知が生まれていく。本がその対話の素材になっていると、格別の喜びがある。

とくにジェンダーと社会福祉の本は、いつもつくりながら自分の生活や生き方を考えさせられる
とくにジェンダーと社会福祉の本は、いつもつくりながら自分の生活や生き方を考えさせられる

新しい知のメッセージを教科書に込めて

社会学も社会福祉も、マイノリティの声を聞き、常識を疑い、社会構造の問題を根本的に考える。それを一冊の本にするとき、初めて見えてくることがある。

まもなく、山本かほり・李洪章・松宮朝編『エスニック・マイノリティの社会学』と、加藤秀一著『はじめてのジェンダー論(改訂版)』が出る予定である。どちらも強いメッセージが込められた、渾身の教科書である。
『エスニック・マイノリティの社会学』は、日本の外国人受入れ政策を一貫した視点で考えるために、在日朝鮮人や外国人労働者、移民・難民の受入れ・管理のあり方を社会学の視点で明らかにし、そこに通底する日本社会の課題を考える。『はじめてのジェンダー論(改訂版)』は初版を刊行した2017年春以降の動きに対応して改訂するもの。人はなぜ性別という「分類」にこだわるのかを、軽妙な語り口で論理的に解説する。初版が非常によく売れて改訂できることは有り難い。これからも一冊一冊、大切につくっていきたい。

まもなく刊行予定の『エスニック・マイノリティの社会学』の校正刷。15人の著者の思いが1つになり、主張のある本に仕上がった。カバーの鮮やかな装画は、やまももさんが一気に描き上げてくださったもの
まもなく刊行予定の『エスニック・マイノリティの社会学』の校正刷。15人の著者の思いが1つになり、主張のある本に仕上がった。カバーの鮮やかな装画は、やまももさんが一気に描き上げてくださったもの

次回の編集者は

次にバトンをお渡しするのは、生活書院の高橋淳さんです。福祉社会学の本をよく参考にさせていただいています。なかでも刺激的でおもしろかったのが、飯野由里子・星加良司・西倉実季著『「社会」を扱う新たなモード――「障害の社会モデル」の使い方」』。発売直後からよく売れているのを見て、私も嬉しかったです。高橋さんは学会の展示ブースではいつも若手研究者に囲まれていて、とても信頼されているのがわかります。出版社を立ち上げるのは大変なこと。いつかお話を聞かせてください。

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