読書好きの方のエピソードで『読む分だけちぎって持ち歩く』というのが衝撃でした 本を大事にしないのは悲しいけど、内容吸収のみを求めた行動はある意味カッコイイなと。 pic.twitter.com/6he2O86NX9— 私 (@hanuru68) September 28, 2025 自由な読み方は尊重するが、品位を欠く行為は受け入れがたい。物を大切にしない人とは関われない。
肢体に不自由のある子どもたちの読書をテーマに、特別支援学校における学校図書館づくりの取り組みのほか、おはなし会の実践についてプログラム実践事例を紹介。また、高等教育をうける当事者インタビューなどを掲載。 読書工房【編】 A5判・192ページ・オールカラー ISBN978-4-86807-225-6 ※読書工房のウェブサイトで購入いただいた方で、本文のテキストデータをご希望の方は、「テキストデータ希望」とお書き添えください。 ※電子書籍版は、後日発売予定です。 ―「はじめに」より 本書は、肢体に不自由のある子どもにとっての読書をテーマに、つぎのような内容で構成されています。 まず、読書工房代表の成松一郎が、自身の経験を交えながら肢体不自由の子どもたちの教育と読書の状況について解説し、つづいて、長年特別支援学校(肢体不自由校)で小学部低学年部門を担当されてきた田中美成さん(現・東京都立府中けや
SNSは議論に向かない場だととっくに知っているくせして右から左へ話題を無意味に転がして飽きない子羊ちゃんたちの空疎な闘争。今日も今日とて『現代思想9月号』をめぐって突如勃発した謎の「読書はマッチョ」空転論争を、不肖「読書文化のマチズモ」by『ハンチバック』製造責任者の私の手で簡潔にまとめておきます。 あくまでも私が観測した範囲の時系列、主要ポストです。 https://x.com/konoy541/status/1828919522579161416 「軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎(だかつ)の如(ごと)く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか」 https://t.co/6ZGc4Rfndk — 河野有理 (@konoy541) 2024年8月28日 元の元は私(市川沙央)のインタビュー記事が抜粋されたポストでしたね。で、 https:/
PHOTO ©Paik Dahuim 光と糸 ハン・ガン 去年の1月、引っ越しのために倉庫を整理していたら、古い靴箱が一つ出てきた。開けてみると、幼年期につけていた日記帳が10冊あまり入っていた。表紙に「詩集」と鉛筆で書かれた薄い中綴じの冊子を見つけたのは、その日記帳の束の間からである。A5サイズのざら紙5枚を半分に折り、真ん中をホチキス止めした小さな冊子。題名の下には二本のくねくねした線が並べて引いてある。左から上がってくる6段の階段状の線と、右へ下っていく6段の階段状の線。表紙絵のつもりだったのだろうか? または単なる落書きだろうか? 冊子の裏表紙には1979という年度と私の名前が、中には合計八篇の詩が、表紙の題名と同じ鉛筆の筆跡できちんと書かれていた。ページの下にはそれぞれ違う日付が時系列で記入されている。八歳の子供らしい無邪気な拙い文章の中で、4月の日付がついた詩が一つ、目にとまっ
知性を身に付けるには読書をすると良い、ということがよく言われる。そのため、自分の知力を磨くことを目的に読書に励む人も多いはず。 しかし見ていて不思議なのは、それなりに読書量があるにもかかわらず、あまり知性がないように見える人が少なからず存在することだ。また、地頭が良いというのか、ほとんど本を読まないのに頭が良いと感じる人も多い。 総合的に見れば、読書は知性を得るうえで一定の寄与をするとは思うが、ただ読むだけでは十分ではないのかもしれない。したがって、「読書をすれば頭が良くなる」とは一概に言えない可能性がある。 もちろん、何もしないよりは読書をした方が良いとは思うが、なぜ本をたくさん読んでいるのに頭が良くないように見える人がいるのか、について考えてみる。 * 通常、読書をすれば視野が広がる。著者は自分とは違う人間なので、自分の意見と違うことが書かれていれば視野が広がるし、似た意見であれば補強
2025年3月5日、フヅクエは、本の話だけのSNS&記録アプリ「Reads」をリリースしました。 ちゃんとしなくていい、身軽で自由な読書記録の形を提案、でございます。 iOSダウンロードページ: 以下、こんな考えから、こんなアプリをつくりました、を少し書きます。 読書はもっといい加減でいいはず「最近読めていないんです」 「自分なんかが読書好きとは言いづらい」 「読み終えないと読んだとは言えない気がする」 「ちゃんと理解して自分なりの感想を書かないと」 読書は他の多くの趣味と比べても、「こうあらねば」という規範意識を持ちやすく、不全感が発生しやすいもののように思います。 それもあってか、ハードルを感じる人が多いように見受けられます。実際、こういう声、聞きがちですよね。音楽鑑賞だとこういう不全感って、めったに見ないような気がします。 もちろん、読むことや読んでなにか書くことを仕事にしている人に
「フランスでは日本のマンガが人気だ」という話はよく聞くが、フランス人は年齢によってフランスやベルギーのコミック(バンドデシネ)をとくに読むのか、日本マンガを読むのか、グラフィックノベル(文芸性の高いコミック)を読むのかが実は違う。 フランスの全国出版協会(SNDICAT NATIONAL DE L'EDITION.SNE)のバンド・デシネグループが発表した調査「8歳から25歳まで、マンガで何を読む?そしてどのように?(De 8 a 25 ans, que lit-on en bande dessinee et comment ?)」から見てみよう。 前編記事『「フランスでは日本のマンガが人気」というが、じつは意外と知られていない「その実態」』より続く 8~10歳はヨーロッパのコミックを読み、親は「スクリーンタイムより良い」と推奨する フランスではコミックとの出会いは主に家庭内で、とくに7歳
松岡正剛が、2024年8月12日(月)午後1時53分、東京都内の病院で肺炎のため逝去しました。 すでに松岡自身が「千夜千冊」で明らかにしてきましたように、松岡は2017年に肺癌の手術を受けて以来、幾度かの癌再発に見舞われてきました。そのたびに治療のため一時的に仕事を中断したものの、退院後はただちに仕事の前線に戻り、さらに苛烈な編集・執筆を自分に課すという生き方を貫きました。そうして、最初の肺癌以降、じつに40冊もの書籍を世に送り出すという多産ぶりを発揮してきました。 今年になってまた新たな癌を抱えることになりましたが、あいかわらず休養もせず、日々、言葉を紡ぎ、イメージを編み、それを多くの場で多くの人びとに伝え続けました。2カ月前に肺炎を患ってからは療養生活が続いていましたが、それでも片時も本とペンとノートを手放したことはありませんでした。 松岡は、つねにたくさんの計画を携えていました。書籍
森絵都 DIVE!! あさのあつこ バッテリー 上橋菜穂子 守り人シリーズ 高飛び込みの玉井選手の銀メダルを見て胸が熱くなったので。 【追記】 こんなにたくさんブコメが集まるとは思っていなかったので驚いた。おまいらのお気に入りを知ることができて嬉しい。 ちなみに増田は作家読みしていて、乙一や椎名誠、群ようこ、有川浩あたりもハマった。
「叱れば人は育つ」は幻想 (PHP新書) 作者:村中 直人PHP研究所Amazon Kindle版もあります。 「叱れば人は育つ」は幻想 (PHP新書) 作者:村中 直人PHP研究所Amazon 脳・神経科学などの知見から、著者は、叱ることには「効果がない」と語る。 叱られると人の脳は「防御モード」に入り、ひとまず危機から逃避するために行動を改める。 叱った人はそれを見て、「ほら、やっぱり人は叱らないと変わらない」と思ってしまうのだが、叱られた当人はとりあえずその場の行動を変えただけで、学びや成長を得たわけではないのだ。 そして厄介なことに、人間には「よくないことをした人を罰したい」という欲求が、脳のメカニズムとして備わっているため、叱ることで快感を得てしまうのである。 では、どうすれば人は成長するのか。本書は臨床心理士・公認心理師で、発達障害、不登校など特別なニーズのある子どもたち、保護
遂に世界文学の“世界”を拡げたと言われるガブリエル・ガルシア=マルケスによる長編小説『百年の孤独』が文庫化された。 1972年に新潮社から日本語版が刊行されてから全集などの刊行はあったものの半世紀ものあいだ文庫化されていないことで伝説を纏った本作。 そして6月26日に文庫版が発売されるやいなや、書店では品切れが続出、紀伊國屋新宿本店ではたった6日間で文庫の月間売り上げ1位を叩き出し、発売日に初版だと思って買ったら既に2刷だったとか、翌日には文字通り「たちまち重版」でたちまち3刷と大盛り上がりとなっている。 そこで『百年の孤独』の文庫を担当した新潮社文庫出版部の菊池亮氏に、本作の魅力からなぜ文庫化に50年もかかったのかなど話を聞いた。 インタビュー・構成=すずきたけし 文庫化が話題になったきっかけ ― いまや伝説的な文学作品として語り継がれているガルシア=マルケスの『百年の孤独』が遂に文庫化
『百年の孤独』のような「ある一族の数世代の歴史を描く大河小説」でみなさんが好きな作品は何ですか? 私が真っ先に思いつくのは、桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』。高山羽根子『暗闇にレンズ』もよかった。あと人じゃなくて犬だけど、古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』 — 秋永真琴 / Makoto AKINAGA (@makoto_akinaga) June 30, 2024 文庫化がたいへん話題になっている『百年の孤独』にちなみ、Twitterでこんなことを言ってみたら、ひと晩で100作を超える作品が集まってきて頭を抱えている。 もちろん反応があるのは嬉しいけど、ここまでとは思わなかった。どうしよう。せっかく皆さんが教えてくれたのに、私が見て「いいね」をつけて楽しむだけではもったいない気がする。 なので、リストアップして、数の多い順に並べることにした。 2024年6月30日の9時47分(ツイートした時
先日、本屋行ったらタイトルが「9割」の本が多すぎて頭おかしくなったので全部集めました。一緒に頭おかしくなって下さい。 人 ・人は話し方が9割 ・人は聞き方が9割 ・人は見た目が9割 ・人は違和感が9割 ・人は「そとづら」が9割 ・人は考え方が9割! ・人は恋愛スキルが9割 ・人は伝え方が9割9分 ・人は潜在意識が9割 ・人は話し方で9割変わる ・人は「暗示」で9割動く ・好かれる人は話し方が9割 ・聞き方が9割 ・自己紹介が9割 ・才能が9割 ・ほめ方が9割 ・伝え方が9割 ・伝える前が9割 ・姿勢が9割 ・習慣化が9割 ・楽しいは自己肯定感が9割 ・顔を見れば9割わかる ・「話す」は1割、「聞く」は9割 ・メンタルブロックが9割 ・ブランディングが9割 ・9割の人が小物選びで損をしている ・夢と金が9割 ・気配りが9割 ・やっぱり見た目が9割 ・観察とアセスメントは解剖生理が9割 「人は
比較文化学類では、学生のみなさんに、自主学修として広く読んでほしい図書を選定しました。 リストは「まず読みたい図書100」と「次に読みたい図書100」の二つに分かれています。それぞれに、専門の枠にとらわれない「全学生向きの図書」と、「領域・コースの学習に関する図書」が挙げられています。自由に参照して、読みたい本を見つけるための一助としてください。 もちろんこのほかに、授業等で紹介される図書を読むことや、自分で読むべき本を探すことも重要です。読書は、ある問題についての体系的な知識を獲得したり、複雑な情報を受け止めながら思考を深め、自分の問題意識を磨いていくために、きわめて重要な知的レッスンの場となります。できれば読書記録を作り、感じたことや考えたことをまとめたり、気に入った文章を引用して書き留めたりするとよいでしょう。 みなさんがこのリストを活用して、書物の世界を大いに楽しみ、刺激を得てくれ
分類<019(読書、読書法)>の棚をブラウジングした。 (読みたい本を更に増やしてしまうかもしれないが、)読書法に関する資料を、積読に触れているものを中心に紹介する。 (1)本を速く読む方法・通読しなくてもいいという意見 資料1 『超速読力』 「超速読力」とは、本や書類を見た瞬間に内容を理解し、コメントを言えるという新しい力であるとし、その意義とトレーニング法について書いている。 資料2 『大学生のための速読法』 接する文献の多い大学生や大学院生のために、楽にポイントを読み取ることができる速読法を紹介している。 資料3 『読まずにすませる読書術』 読む必要のない箇所を見抜く技法や、本を読まずにすませる技法を紹介している。 資料4 『時間がない人のための即効読書術』 バスで読書する際に酔いにくい席の選び方(p.17-18)など、読書を効率化する具体的な技術を紹介している。 (2)多読や乱読な
奏で手のヌフレツン 作者:酉島 伝法河出書房新社Amazon酉島伝法はデビュー作の連作短篇集『皆勤の徒』と第一長篇『宿借りの星』が共に日本SF大賞を獲得と、寡作ながらもその作品は常に高い評価を受けてきた。 そんな酉島伝法による最新作『奏で手のヌフレツン』は2014年にSFアンソロジー『NOVA』に載った同名短篇の長篇版で、これが著者の現時点での最高傑作といっても過言ではないほど素晴らしい出来だ。酉島伝法の作風は造語を駆使しながら人ならざるものたちの世界、視点、文化を細かく描き出していく、一言でいえば「唯一無二」という他ないものだ。本作でもその特徴は引き継ぎながらも、ストーリー、世界観はともに既作よりも壮大さを増し、読みながら「今までこんな感覚、文章を読んで味わったことがないな……」と思うほど特殊な感覚と興奮が呼び起こされた。 たとえば下記は本作の一ページ目の文章で、奏で手と呼ばれる人たちが
「あとで読む」と思った本が、後で読まれた試しがない。 今度の週末・連休にと、積まれた本は崩されない。次の盆休み・年末年始に繰り越され、山脈を成し床が消える。 読書を食事になぞらえて、「血肉化」と表現するならば、私がやっていることは、メニューを眺めて片っ端から注文しているくせに、いんすた映えを気にしながら撮るくせに、まともに咀嚼して嚥下して消化してない状態だ。 そのくせ、「積読も読書のうち」と開き直ったり、溜まった本こそ私の証などと屁理屈こね回す。読まない本に「負債」のような後ろめたさを感じつつ、新刊本を探しだす。新しい本はそれだけで価値があると盲信し、かくして積読リストは延びてゆく。 もう一つ、恐ろしい予感がある。感受性の劣化だ。 あれほど楽しみに「取っておいた」本が、まるで面白くなくなっている。いや、その本の「面白さ」が何であるかは理解できる。だが、それを面白いと感じなくなっているのだ。
本で育った。友達がいなかったから、子どもの頃は本ばかり読んでいた。 実家には壁一面の本棚があって、休日はいつも本棚の前で過ごした。 悲しい話から失礼します。ライターの岡田悠と申します。背後に本棚があるので、もうちょっと本棚について語らせてください。 本棚は、生き物みたいだと思う。本を買ったり、処分したりを繰り返していくうちに、身体の細胞が少しずつ入れ替わっていくように、本棚の中身も変化していく。 だから昔の写真やおもちゃは残っていても、昔の本棚は残っていない。 本に支えられていた、子どもの頃。当時の本棚には、自分の原点が詰まっていると思う。当時の本棚を、再現してみたい。そしてノスタルジーに浸りたい。 ちょうど先日、実家に帰省する機会があったので、2023年現在の実家の本棚を確認してみた。本棚自体は昔と同じものだが、僕が実家を出た後に家族が使っていたので、中身はほとんど入れ替わっている。 現
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