西南学院大学博物館 〒814-8511 福岡市早良区西新3丁目13番1号 TEL 092-823-4785 FAX 092-823-4786 博物館事務室
西南学院大学博物館 〒814-8511 福岡市早良区西新3丁目13番1号 TEL 092-823-4785 FAX 092-823-4786 博物館事務室
黒船来航を描いた絵巻から。ペリー提督ら米国側交渉団と日本側の宴席場面=大英博物館提供黒船上陸を描いた絵巻から。相撲の力士を見て驚いた表情を見せる米国人の乗組員ら=大英博物館提供 【ロンドン=沢村亙】ロンドンの大英博物館は、江戸末期に黒船を率いて日本に来航した米国のペリー提督の上陸を描いた絵巻をこのほど手に入れ、公開を始めた。異なる文化に驚く日米双方が人間くさく精密に描かれており、同館は歴史的な資料に加えて美術的にも質の高い作品だとしている。 黒船が1854年に日米和親条約締結のために2度目に来航、横浜に上陸した様子を描いた長さ15メートルの絵巻。黒船見物に大勢の住民が海岸に集まる光景から、上陸したペリー提督ら交渉団や水兵たちの様子、日本側による宴席などの場面が描かれている。 大英博物館は、英国の美術商から約6千万円で取得。作者は不明だが、記録のために上陸場面に立ち会った松代藩の絵師、
ゆったり長岡、日帰り旅 先日の新潟旅で買った美味しいお米が尽きてしまい、「お米なくなった……」とこぼしたら夫が「新潟に買いに行くか?」と最高なセリフを言ったので日帰りで行ける長岡に出掛けてきました。 前回の新潟旅はこちら はじめまして新潟 - 続・食べて踊って恋をして Rural Readi…
アメリカ合衆国極東艦隊司令長官ペリー提督(Perry, M.C. 1794-1858)の旗艦ミシシッピ号が1852年(嘉永5年)11月24日ヴァージニア州ノーフォークを出発し、マデイラ、セントヘレナ、ケープタウン、モーリシアス島、セイロン島ポアン・ド・ゴール、シンガポール、マカオ、香港、上海、那覇、小笠原諸島を経て江戸湾入口の浦賀沖に3隻の艦をともなって現れたのは1853年(嘉永6年)7月8日であった。19世紀初頭のアメリカは経済的発展期にあって、海外市場を求めてアジア大陸に進出しようとしていた。その中心地、中国へ行くには、上記のように大西洋を横断してアフリカの南端を回り、インド洋を経由しなければならない。また当時、アメリカの太平洋岸は捕鯨場として開かれていたこともあり、太平洋を横断する航路が考えられはじめ、その航海に必要な石炭、水、食料などの補給の中継地として日本が位置づけられたのである
2025年06月13日 更新履歴(令和7年) 令和7年1月2日 明けましておめでとうございます。 後期高齢者一年目、なんとか無事越年しました。 「上方落語家事典」(「上方落語史料集成」に掲載)をひとまず終え、昨年5月より当ブログに復帰しました。〝おん〟さんから「まだ引退してなかったのか」というコメントを頂戴しましたが、体力の続くかぎり、もう少し続けさせてもらいます。 昨年復帰以降、ほぼ二週間に一度、車で一時間余をかけ国立国会図書館関西館へ出かけ、東京より取り寄せた各地の新聞のマイクロフィルムで松旭斎天勝の記事を探し、見つけた分をブログにアップしてきました。大海に釣り糸を垂れるような作業ですが、時に大物が釣れるので、その喜びを頼りにやっています。それと、関西館は人も少なく、マイクロで疲れた時は珍しい本や雑誌をみてまわっています。いま私の最高のお気に入り空間です。 本年も引続きよろしくお願いい
奈良・東大寺の大仏の足元から明治期に出土し、「東大寺金堂鎮壇具(こんどうちんだんぐ)」として国宝に指定された金銀荘大刀(きんぎんそうたち)2振りが、約1250年にわたって行方がわからなくなっていた正倉院宝物の大刀「陽寶劔(ようほうけん)」「陰寶劔(いんほうけん)」だったことが、元興寺(がんごうじ)文化財研究所(奈良市)のX線調査でわかり、研究所と東大寺が25日、発表した。 「陽寶劔」「陰寶劔」は東大寺を創建した聖武(しょうむ)天皇(701〜756)の遺愛品で、妻の光明(こうみょう)皇后(701〜760)が大仏に献納した後に持ち出され、その後、存在が確認されていなかった。 金銀荘太刀は1908年、大仏の足元から掘り出された。保存修理に伴うX線調査で、刀身の根元近くに「陽劔(ようけん)」「陰劔(いんけん)」の象眼(ぞうがん)が施されていたことがわかり、陽寶劔、陰寶劔と特定された。
『作庭記』の最も古い写本は金沢の谷村家所蔵であり、奥書に「正応第二(1289)」と書かれている。この作庭書の特徴的な点は当時の王城の相地にあたって、もっとも重視された四神相応観が庭作りの上でも重要視されており、さらに陰陽五行説に基づく理論化が極めて伺える。また王朝の住宅建築様式である寝殿造りを前提とした説明がなされている。このことから本書の成立は平安時代末期と考えられ、我が国最古の作庭書であるとされている。その内容は、前半において立石の概要に始まり、島・池・河などの様々について論じ、滝を立てる次第、遣水の次第を詳述している。後半においては立石の口伝に始まり、その禁忌を具体的に論じ、ついで樹・泉について述べ、最後に雑部として楼閣に触れている。著者については、『作庭記』(田村剛、相模書房、1964年)において森蘊氏、さらに太田静六氏などの研究を統合して、その由来と伝承を明快に論じ、橘俊綱一人に
Warwick Goble(1862-†1943)というイラストレーターがビクトリア女王の時代の英国で活躍していたことを、ぼくはいまからほんの数日前まで知らなかった。教えてくれたのは、Baltimore 在住の友だち Pat である。ぼくは、彼女が flickr に投稿した二冊の絵本の表紙の写真を見て、その絵を描いた人の名前を初めて目にとめたのである。 それらの本は、日本の古い物語をまとめたもので、そのうちの一冊 The Moon Maiden and Other Japanese Fairy Tales は、Green Willow and Other Japanese Fairy Tales という題で1923年にロンドンで出版された本を再編集して90年代末に出版されたもので、本文執筆者は Grace James と表紙に明記されている。もう一冊は The Haunted Flute
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く