最近、「冬と夏だけになって春と秋が無くなった」とかいう俗説がマスゴミやネットで広がっているけれど、昨日とか今日とか普通に秋だよな?
今年に関していえば9月の終盤から最高気温が一段階下がって涼しい日が増えた。「暑さ寒さも彼岸まで」って昔から言われるけれどその通りだったよね。
10月も過ごしやすい気温が続いたし時々最高気温の高い日があっても空気が乾いていて爽やかだった。金木犀の香りが漂ってきて「ああ秋だな」と感じたよ。空に漂う羊雲も如何にも秋だった。
11月に入ってさらに気温は下がったけど冬のような寒さじゃない。雨や曇りが多いがいかにも「白秋」という感じだ。
地球温暖化による気候変動はもちろん大きな問題だ。しかし、秋は若干短くなったかもしれないが、今も普通に存在している。
「冬と夏だけになって春と秋が無くなった」と思っている人はマスゴミやネット上の俗説に洗脳されているだけで、自分の肌で空気の涼しさや乾燥を感じることも出来ず、空を見て秋らしい雲に気づくことも出来ない鈍感な人間なんだよ。
信頼できる相手とじゃないと真剣に議論できない。頼むから、誠実でいてほしい。カマトトぶらないで。
…清潔感って、つまりは「キモさ」の定規の延長線上の概念だよな?
キモくないことを指して、清潔感があるって言ってるんだよね。恋愛のアドバイスとかでキモい・キモくないを評価するとカドが立つから、代わりに清潔感と言ってるんだろう? 現代はポリコレとかコンプラみたいな自由な言葉づかいを制限するモラルが横行してるから、気持ちは分かる。
匿名でいいのでイエスと答えてほしい。清潔感はキモいをマイルドに言い換えた概念だと認識すれば、大きく前に進める人たちはきっと多いはずだから。前提をハッキリさせさえすれば、どうやってキモさを無くしていけるかを議論できるんだ。
ホワイトベースは、地球連邦軍の重要戦略である「オデッサ作戦」に参加するためにヨーロッパ方面へ向かいました。この作戦は、ジオン軍の地球上における最大拠点の一つであるオデッサ基地を叩くための大規模なものでした。
長い旅路と戦闘によって損耗したホワイトベースには、補給や修理が必要でした。作戦参加の途上にあるベルファスト(イギリス近郊)などの連邦軍拠点に立ち寄っています。
ホワイトベースは、その圧倒的な戦果とガンダムの存在から、ジオン軍にとって非常に重要な目標となっていました。連邦軍はそれを逆手に取り、ホワイトベースをジオン軍の主力をおびき寄せるための「囮」として利用しました。直接南米のジャブロー(連邦軍本部)へ向かうよりも、世界各地を転戦してジオン軍の注意を惹きつけることが、戦略上重要視されたためです。
ジオン軍の厳しい監視下で、ホワイトベースのような目立つ艦が南米のジャブローに直行すれば、その位置を特定されるリスクが非常に高くなりました。ジャブローの位置が露見することは、連邦軍にとって致命的な事態を招きます。
大気圏突入時のシャアの妨害などにより、当初の計画から航路がずれた可能性もあります。その後は、マチルダ隊による補給を受けつつ、連邦軍の上層部の意図により、上述の「囮」としての役割を担いながら、世界各地のジオン軍拠点を巡るルートを進みました。
キャベツが作られすぎたら、大量に廃棄してる
正直、消費者からすれば勿体ないわけだが、そうしなければ価格が破壊されてしまう、農家は食えなくなる
日本農家はなんだかんだ保護されてるわけだが、保護されてるからといって儲かるわけでもない、正に飼い殺し状態である
しかし、飼い殺しでなければ、国産農業は維持できないことになる
輸送のためにそれこそ農薬なり、なんらかの加工が入ることになりうる
安い中国や東南アジアの食材を買わないで国産を買う?本当にそうだろうか?
農産物は輸送で傷みやすいため、確かに国産の方が利があるだろうけど、例えばパプリカは韓国である
そんなに傷んでいるか?だとしたら、ピーマンだって可能になるのではないか?
中国は昔から過剰生産をしがちな国であり、液晶パネル、太陽光パネル、これは完全に中国に市場を破壊された
日本は韓国に倒され、韓国は中国に倒された、今や安価な太陽光パネルはほぼ中国製であろう
そして、ここにまた日本製を切り込もうという動きがあるわけで、期待したいわけだが、
農業を同じにしてもらっては困る、特に野菜と違って、お米は長距離輸送にそれなりに耐えるはず
アメリカや中国、東南アジアの安いコメが大量に入ってきたら、日本の米農家はそれこそ崩壊するであろう
最終的にどうなるかというと、今の日本の家電メーカーと同じである、それを作ること自体から撤退するのである
半導体も奇麗な水が必要とか色々とお米に例えられるが、日本は私が大学にいたぐらいのときには、
既に台湾に負け始めていて、今はTSMCが日本に誘致されてありがとう、みたいになってしまっている、完全に占領された敗戦国である
日本もお米を作るとか、野菜を作ること自体が単に儲からない、食っていけない職業ということで定着すると思う
完全な資本主義、新自由主義と言ってもいい、政府が保護しない、価格決定に口を出さない、
もうお米の価格が高かろうが低かろうがニュースにさえならない日本になってしまう
本当にそれでいいのか?
そもそも、中国のアタオカなところは、過剰生産によって自国内の企業同士でも争っているので、自国の市場さえも破壊してしまう
なんか蟲毒みたいな感じがあるんだよね、中国って…😟
ファイナルファンタジータクティクス イヴァリースクロニクルズをクリアした。
エンハンスド版。スタンダード。ディープダンジョンも含めて全部やった。
プレイ時間は100時間ぐらい。多少の物足りなさはあるけどPSのやつ+αという感じでとても良かった。
ストーリー面はPS版と同じだけど、ルカヴィが怪物というよりも人間臭くなった感じが主な変更点かも。
変更点は痒いところに手が届く感じで概ね良かったと思う。
気になる点というか、希望というか。
お米は政府が買ったり、途中にいくらでも調整が入っているはずなわけで、それは市場価格ではないし、
そういう物価云々の議論にしたいのなら、もう適正な市場価格にするしかない
トランプが言うように、日本は外国米への関税を完全に撤廃し、海外のお米と価格競争をしてもらうしかない
もちろん、お米を作りすぎたから減反して政府が保証しよう、なんて甘ったるい話も撤廃する
この方向で話すなら、普段食べている野菜も同類であり、例えばキャベツやレタスも国産を優遇するのをやめよう
中国には豊富な野菜があるので、仮に陰謀論者が言うように、中国野菜に毒だの農薬だの健康に悪いだのがあろうが、
ぶっちゃけ、今の冷凍食品やインスタント、レトルトを見るがいい、中国の野菜など普通に入ってる
アメリカや中国、インド、東南アジア、北欧、あらゆる食材で日本の食卓は支えられているのである
物価の議論をしたのなら、もう今の高市政権が言ってるように、完全に市場価格にするべきなんだろうけど、
俺は、それで国産の野菜や食材が価格競争に勝てず、安全保障上の問題になると思っている
だから、政府が介入調整しようが、完全に自由市場だろうが、トータルで米農家を支える必要がまずあると思う
これは生活保護とかセーフティーネットとも同じで、政府は福祉的であるべきだと思うからだ
そのトータルの報酬に問題があるのは理解できるわけで、それを解決するのは完全に政治の役割であって、消費者への文句はまったく意味がない
もしくは、完全に政府の保護をなくし、関税をなくし、海外の安い食品や製品がそのまま入るようにするべきであろう
現在のトランプみたいなやり方は経済を失速させるだけのアタオカだが、関税をなくせばいいという話でもない
国々によって自国の保護すべき産業というのは決まっており、日本の場合、そこにお米は含まれると認識している
あと、お米の価格に文句を言うやつは左翼だとか、左翼の陰謀とか書かれているけど、じゃあ、右翼は関税をなくして日本の米産業を破壊したいのですか?
莫大なエネルギーを消費する
半端に仕事がなくなる
嘘の情報が見破りづらくなる
使ってみる限りとても便利だと感じているが、広くみるとネガティブなことも多いかもしれないと思った。
プラスに感じること
雑に処理できる仕事を任せられる
わざわざ人に言うのは大袈裟に感じる考え事の壁打ち役になってくれる
調べ物をするときに、答えに辿り着きやすい。(試せるノウハウ系だと、間違っていても試してみればいいので助かる)
技術の発展(どれくらいの速度で発展しているのかは知らない)
文章を扱うときに、細かいところを整えてくれるので考えることに集中できる。
マイナスに感じること
莫大なエネルギーを消費する
半端に仕事がなくなる
嘘の情報が見破りづらくなる
作ったものが真似されやすいので、オリジナルに作ることのモチベーションが下がる
あまり変わらないこと
仕事をAIを使って効率化しようとしても、あまり劇的には変わらない。(環境を整えるための労力も大きい)
身体を使うこと
昨日、久しぶりに見直した。
最初に見たのは、映画館。中学1年生。当時、宮崎駿って確実に天才だと思ってた。ラピュタもナウシカも風の谷も好きだった。だから、もののけ姫も期待して見に行った。
でも。
後味がよくないんだ。面白いのに、後味がよくない。
スクリーンから出ても、世界がそのままで続いてる感じ。アシタカとサンの話が終わった後も、その世界の中では何かが続いてる。
妙な違和感だった。
その後、高校生の時に、友達と「ナウシカと比べてどう?」って話になったことがある。
私は「もののけ姫の方が好き」と言った。友達は「ナウシカの方が綺麗でスッキリしてない?」と言った。
でも、大人になって思うようになった。
「綺麗でスッキリ」してるのが、むしろ問題なんじゃないかって。
ナウシカ、ラピュタ、風の谷、千と千尋。これらは全部、構造としては「主人公が正しいことをして、世界が救われる」という話なんだ。
ナウシカは毒の森に立ち向かう。ラピュタのパズーはシータを救う。千尋は親を人間に戻す。
そういう「正解」がある。だから、映画を見終わった時に、心が満たされる。すっきりする。
でも、もののけ姫は違う。
アシタカは両方を愛してる。サンも人間も動物も愛してる。だから、どちらかが完全に勝つことはない。和解もしない。ただ、妥協する。
環境問題だって、そうでしょ。企業が環境破壊してるのは確かに悪い。でも、その企業が作る製品で生活してるのも私たち。
誰も完全に正しくない。誰も完全に悪くない。
だから、映画を見終わった時に、心が落ち着かない。それが正解だからこそ、落ち着かない。
これ、悪役のセリフなのに、完全に正しい。実際、タタラ場の住民たちは、エボシのおかげで生きてる。
でも、誰も責めきれない。
この「構造」をちゃんと描いた宮崎作品は、もののけ姫が初めてじゃないか。
ナウシカだって、腐海を焼こうとする人間たちは、確かに間違ってるんだけど、その間違った行動の「もっともらしさ」は描かれてない。
でも、もののけ姫は違う。
エボシも、アシタカの親の村の人間も、サンたちも、全員が「自分たちなりに正しい」と思ってる。
その「正しさ」が衝突する。
映画をもう一度見直して思ったのは、そういう「曖昧さ」をちゃんと表現した映画って、実は結構珍しいんだってこと。
ハリウッド映画だって、日本映画だって、大抵は「良い奴と悪い奴」が明確に分かれてる。
でも、もののけ姫は違う。
20代の時に見直した時も、30代の今見直した時も、感覚が変わる。
20代の時は「エボシダメだ」って思ってた。でも、30代の今は「タタラ場の労働者の気持ちもわかるな」って思ってる。
多分、40代でもう一度見たら、また違う感覚になるんだと思う。
それなのに、映画自体は変わらない。描写も、ストーリーも、セリフも、全部同じ。
でも、観客が変われば、見え方が変わる。
こういう映画って、稀だと思う。
昨日、妹にこの話をしたら「もののけ姫は、見終わった後、世界が続いてるように感じるって言ってた人いた」と言ってくれた。
宮崎駿は、「映画を見たら、心がすっきりする」みたいなエンタメの形式から、敢えて外れようとしたんじゃないか。
その時に、何を選んだかって言ったら「現実」だったんだ。
現実は、すっきりしない。
でも、もののけ姫は、不完全だ。不安定だ。見終わった後も悩ませる。
その「悩ませる力」が、他の作品にはない。
綺麗な映画は、一度見たらそれでいい。
コミケ会場の10倍以上の人間がセックスしてるって話になるんだから世の中ラブホも乱立するしそこら辺に風俗があるのも当然だな。
統計的には女性の100人に数人は風俗嬢らしいし、街中で見かける清楚系のあの女性もカジュアル系のその女性もみんなどこかでセックスしてるんだから、お前らも遠慮せずセックスすればいいと思う。
今の2,30代男性の生涯未婚率は40%程度になると予想される
つまりどう努力したって2.5人に1人は生涯独り身であることを余儀なくされるが、無責任なインターネット上のクソアホどもは「スキンケアとかしたらいいと思うよ🤗」などとクソくだらない欺瞞を言う
テンパリング用とか最初から調合されたスパイスが入ってる袋が複数入ってるやつ…😟
ほぼ指示通り、といっても、玉ねぎとトマトを多めに入れてしまったが、大筋は間違ってないはずなのだが、なんというかとろみが足りない
ココナッツミルクのパウダーが入ってることは、原材料にも記載されてるし、袋を開封したときの匂いでも分かった
しかし、普段愛用している紙パックのココナッツミルクのようなとろみがない…
なるほど、作ってる工程の時点でほぼ確信しているが、こういうのは不味くならない、不味くなりようがない
パッケージにある作り方を読まない、もしくは読むのがめんどくさくなって途中で放棄する…😟
おいしいけど、なんか違う…😟
あと、アレだな、日本の生のトマト入れてるから、全然酸っぱくないな、あの酸っぱさが苦手なので…
しかし、これはこれでトマトの存在感がなさすぎる、酸っぱくもないが、トマト入ってるの?という感じもある
愛用しているココナッツミルクが入手不可になってしまったのもちょっとショックであった
自転車や、一定の場合の原付など、一定の車両は二段階右折をすることがある。これについて法令に欠陥がある。
* *
交差点前の停止線超える→直進→右への方向転換→直進
である(前提あり→※)。
前提のもと、いくつかケースを考える。
(1)まず交差点進入開始時にまっすぐ前にある信号機、これが二段階右折の全フェーズで青のまま変わらなかったケース。特に問題はない。
〘青〙直 換 直
(2)続いてのケースとして、前記の位置にある信号機が、1個目の直進のフェーズで黄から赤に変わり、その後はその直進の完了まで変わらなかったケース。そのまま赤のまま変わらなければ、右への方向転換と2個目の直進をしてもよい(してもよいというのは信号無視にはあたらないという意味)。知らなかった人のなかに、意外にも制限が緩いのだな、と驚く人がいてもおかしくはない。
(一例)
〘青〙直〘黄〙→〘赤〙→ 換 直 〘青〙
(3)最後のケースとして、前記の位置にある信号機が、右への方向転換のフェーズの最中で黄から赤に変わったケース。この場合、赤に変わった時点で動きを止めなければならず、さらに赤から青になるまで、静止を続けないといけない。これらを遵守しなければ信号無視としてペナルティの対象となる。
(一例)
〘青〙直〘黄〙→ 換〘赤〙 「ここで赤が終わるまで停止しないといけない」 〘青〙換 直
(※2個目の「換」は方向転換再開という意味)
おわかりいただけるだろうか。右への方向転換の最中に、黄から赤へ遷移するという出来事が起こったら、起こらない場合と比べて非常に厳しい行動制限がかかるのである。
この差の大きさに合理性は見いだせない。
さらに言えば、方向転換と赤遷移が重ならないよう意図して遅く走れば、つまり意図してカッコ2 に持っていけば、停止静止義務を避けられる。
完全に欠陥である。
(※→車両は自転車、信号機は上矢印(上0度)灯火の出ることのないもの、
交差点は(一般的意味の)二段階右折の最初の段階で停止線を超えることとなる交差点、信号機は青黄赤青…の順で移ろうタイプであること、をそれぞれ前提としている。)
* *
※補足:規定の読み方
青灯火の内容のうち「直進(…を含む。)」のところをみてみると、右折の語は、右への方向転換を指す狭義的なものとして使われている、とわかる
(一般的意味の「二段階右折」を構成するうちの、狭義直進と「右折」は明確に区別されているとわかるため)。
次に赤灯火の内容。「既に右折をしている」文言は現在進行の形、よってその号では右方向転換の最中である場合のこと(停止義務)が書かれていることがわかる。
他方で直進(一般的意味の「二段階右折」について順番どおり、直進、方向転換、[曲がらないでする進行]、の3つに分解したときの、1つ目の直進。
ただし停止線直前ラインを越えた後の部分)の途中で赤灯火に遷移したときについて、赤灯火のどの号も述べてはいない、つまりその場合、停止義務なし。