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「嫁姑」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 嫁姑とは

2025-10-19

dorawii@執筆依頼募集中

ルポ新書的な内容など事実説明した内容なら活字媒体よりも漫画になっていたほうが、たとえ興味がない人間でもまだ読むのに苦痛がないというイメージを持ってる人がいると思うが、それは間違いだと思う。

嫁姑読者投稿みたいな内容は発言小町で読むほうがまだ耐えられる。

なんとかさゆみが表紙の漫画雑誌やぶんか社作品はそのターゲット以外の多くの人にとって、そのキャラのことごとくが視覚的に生理的嫌悪感を呼びおこす醜い人相というか画風になっているというのが個人的感想

端的に言えばページに映る全てが汚物のようだ。だから漫画を読めというほうが見る刑罰に値する。

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2025-10-10

anond:20251010213457

小学生の頃は嫁姑問題のせいで母親ヒステリックだったから少し大変だった気がする、でも無条件の愛情を感じることは間違いなくあったか普通範疇なんじゃないかな お母さんがヒステリー起こすことって割と一般的だろうし、、

家の権力者は常に母親で、私のやりたいことは自然母親のして欲しいことに合致していたから衝突することもなかったんだよね。コントロールされたという気もしていない。ちゃんと私が考えて望んで選択した実感がある。そもそも親は大学とか就活とか詳しくなかったし。

かに服とか髪色とかは否定されることは今でもあるかも。気に入って買ったつもりの服を凄いディスられて着れなくなったこともある。そういう意味では否定されたことになるのかな?

こうやって書いていくと思い当たる部分はあるけれど、一般的体験に収まる程度という気もする。

それに自分のことはちゃんと好きなんだよね。社会の中に自分を置くと気持ち悪くて存在が許されないと感じるだけで。説明が難しいな

2025-10-03

anond:20251002131716

結婚願望って何なんだろうな。

10年間うまくやってこられるような間柄なら、友達夫婦という感じでやって行けそうな気がするけどね。

あとはギャラリーをどう説得するかというか、嫁姑問題みたいなのの対処だな。

結婚となると勘違いしたギャラリー乱入してきて自分たちはよくてもそれがウザいみたいなのはあるので。

2025-09-19

anond:20250919051508

NTT「6Gで日本IT先進国にしたいです」→「いまトピでヘイト煽り稼げるー!」

オリコンフェイクニュース対策社会に貢献!」→「嫌儲レスコピペしてヘイト煽り稼げるー!」

yahoo先進AI活用して健全議論の場を…」→「「ヤフコメ・株掲示板ヘイト煽り稼げるー!」

エキサイト赤ちゃんが泣いてもいい日本を目指します」→「不倫嫁姑クレーマー漫画ヘイト煽り稼げるー!」

IT企業なんざどこもこんなレベルっしょ

2025-09-06

anond:20250906010128

夫がワンオペ仕事してる間、ジジババ(だいたいババァ)と妻がツーオペで家事育児。例えるなら磯野家のあの形が普通だったんやで。嫁姑問題を嫌った女さんたちが手ずからぶち壊したけど。

2025-07-07

anond:20250707101403

それは実娘だからゴリゴリ言ってるだけだろ

いつもの調子で「うるせークソババア!」って言い返せば良いだけの話

嫁姑問題と一緒にしないでくれ

2025-07-05

ワンオペ介護ヤバい

妻が約二ヶ月仕事でいなくて、絶賛ワンオペ中。

元々育児も炊事も家事もやるほうだったから、やることが倍になったけどまあなんとかやってる。ほぼ白目の毎日だけど。

で、おばあちゃん(おれにとっては母)を呼んだ。でも手伝ってもらうのが目的じゃなくて。

普段老人ホームにいるんだけど、最近寂しいらしいんだよね。

夫(おれの父)に先立たれてもしばらく一人暮らし謳歌して、海外旅行とかも行ってたんだけど、年取って行動力も衰えて、田舎暮らしも大変だし、

ちょうどコロナ前に運良く、関東老人ホームに入ってもらっった。

たまには様子を見に行くんだけど、最近ほんとによく寂しい寂しいと言うので、週末うちに呼んだ。

妻と嫁姑関係は悪くはないんだけど、やっぱり妻が気を使うから、妻のいない今のうちに呼ぼうと思って。

「もう十分生きた」というのが口癖でこれ以上辛い思いをする前にスーっと消えたい、と言う。

週末の数日を一緒に過ごしてるけど、気分が落ちているときは泣いたりする。

孫と遊んでいるときは楽しそう。「思い切って来てよかった」と言う(来れるだけの体力があるか不安だったから)

今日は下の子習い事でおれはいなくて、上の子相手してくれておばあちゃんうれしそうだった。

夜お風呂に入るのを手伝った。何十年ぶりか母の裸を見たけどまあ当然ヨボヨボ。

介護仕事にするのは大変だな~と思った。

まだまだ母はいろいろ自分で出来るけど、めまいがひどくてお風呂は一人では無理で、老人ホームでも手伝ってもらってる。

介護は大変」と言ってもまだまだ本物の介護じゃないとも思う。

自分の将来とかも考えちゃうな。今は子育てが大変すぎて「一人の時間がほしい~!」と渇望するけど、いつか嫌でもそういう時間が来るなら、今はこれでいいんだな。

2025-04-26

嫁姑問題が嫁が姑にハラスメントすることになりそうだな

今の女ってマジでおかしいからな

昔の嫁姑問題って姑が自分がやって来たことをやらせるようなジェネレーションギャップ問題だけど、今の女って単純に頭おかしいよな

今やお嫁様みたいな扱いになってて腫れ物に触る感じにかなりなってるわ

この化物たちが姑になったらどうなるんだろう

母はどうしたかったのか

うちの母は私を産む前は仕事人間だったらしい。

父と母はかつて同僚、先輩後輩で父が後輩の母の仕事ぶりに惚れて結婚したと聞いた。父は仕事ができる方じゃなかったらしく、当時にしては珍しく母は昇進、父は部下になってしまったらしい。この話をする父のちょっと恥ずかしそうでうれしそうな顔は今も忘れられない。

母は私を産んで仕事を辞めた。

父は自分が辞めるから、お前には仕事をしてほしいといったらしいが母はそれを聞かなかった。母のほうが給料も上で、家計ダメージを考えても産後しばらく休んでから復帰したほうが良かったんじゃないかと思う。父が言うには母は上からも期待されていたらしく、ちょっと特別待遇をとってまで現場に戻ってもらうつもりだったらしい。

でも母は仕事を辞めた。

父母ともに両親と折り合いが悪く、ほぼ絶縁状態であったために嫁姑問題なども存在しなかったと聞く。父はもちろん止めた。産前は仕事復帰できるかな、と笑っていたらしくその態度の変わりように困惑したらしい。

母は家事はあまり得意でなく、いわゆるヒステリックな人だった。何かにつけて娘である私にお前のために仕事を辞めたのにと怒鳴り、夫である父にお前が辞めればこんなに苦しい生活じゃなかったのにと怒鳴った。

そんな生活ではもちろん家庭は崩れ、小学生に上がった頃には父は職場と家庭の板挟み(父は職場では父が母に仕事を辞め家庭に入るようにに強要したと思われていじめを受けていたらしい)で精神病みかけ、これではいけないと退職して離婚、私を引き取ってどうにか折り合いの悪い親に頼み込み新しい仕事を見つけ私が高校を出るまで面倒を見てくれた。

母は私の親権を主張することもなく、私に接触しようとしたことはなかった。3年ほど前に父から危篤から会ってあげてほしいと言われて数十年ぶりに顔を見たがなんの情もわかなかった。

今の私は家庭も持ち、子供が親が離婚した時の私の年齢になったが、母の気持ちは今でも理解できない。私は仕事も辞めなかったし、子供も今のところ夫と協力して父にも助けてもらって順調に育っている。父には本当に感謝しているが、母には何の感情もわいてこない。

もう話を聞くことはできないけど、母は何を思って、私をどう考えていたんだろう。

2025-04-15

anond:20250414112430

表現の自由歴史的背景は、国によって異なる。

そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景みえることもある。

++

とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要視点だ。欧米日本では大きく違う。

フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。

その意味で、社会運動ストライキ争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体抗議活動日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為意識しているからだ。

環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識フランス社会は共有する。

その背景には、18世紀カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学合理性武器公共空間を構築し、新たな政治制度模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期政教分離文脈から分化した表現の自由の形であった。

一方、アメリカ表現の自由の出発点は、事情が少し違う。

制度の根幹に「科学合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。

もっとアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法ヘイト規制消極的かつゾーニング規制シフトしてゆく歴史がそこにある。

トランプの出現などリベラル保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。

一方で日本は、「価値観の不一致」に不安を感じる社会だ。

会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。

この「迷惑感情」は、表現の自由制限する根拠として働きうる。憲法学では人権制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体迷惑感情社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共フランス人の考える公共とかなり異なる。

電車CM強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのもの否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。

フランスとの比較でもう少し考えてみよう。

日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画ペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。

水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代国鉄病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会根付かなかった。正規雇用では労使協調路線非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。

全農警職法事件国家公務員の争議権全否定1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。

暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力容認しがたいもの」と司法行政に決着を迫った形だ。

こうした着地は、人権市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会構造限界を示しているのだろう。

日本社会における「市民による暴力抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激ものに映じるの対して、しばしば国家行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度暴力不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉とき過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造非対称性再生産になりかねない。

構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却やす社会ということだ。

欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験からまれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権ボトムアップ的な再生力だ。

しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後アメリカが新しい憲法人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日日本においてもなお、自由をめぐる議論憲法制度論に終始してしまう要因になっている。

だとすれば、今あらためて必要なのは自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。

特に敗戦前後記憶――若者人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。

++

ここからは、戦後日本映像表現の潮流に視点を移す。

戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。

1. 既成の価値観への反抗

戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的破壊しようとした。

映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力風刺し、戦時空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。

表現体制批判自己解放手段だった時代道徳国家価値観への反抗心がそれを後押ししていた。

「反抗」というテーマは、家族内の世代対立ないし嫁姑問題80年代の校内暴力管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。

2. 新しいアイデンティティ模索

高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域風景は急速に姿を消した。

そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族崩壊再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。

3. 失われゆく価値観への郷愁

こうした変化に対する不安喪失感は、郷愁としても現れる。

山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。

倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。

スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力根性家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。

この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害内包していた。そこに着目すべきだ。

「反抗」の終焉表現行為暴力性をめぐる葛藤

この三つのうち、「戦前価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。

奥崎謙三狂気。上官を告発し、天皇パチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。

しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたか社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。

かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしま社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスドラマなくせに、コンプラ配慮たばこポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか

奥崎のような過激手法であっても、そこに社会権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男ドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。

ドキュメンタリーという暴力からみえもの

ドキュメンタリー手法に内在す加害性も多くの示唆を与える。

ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。

伊藤詩織氏の『Black Box Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユース正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力犯罪を暴く表現であればOK」という立場原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。

では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?

最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である

コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしま社会――それが望ましいのか?

私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為公益性のはざまにあるという意味奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員告発とその後の県知事対応は耳目を集めたばかりだ。

空気にあらがえるかが試金石

今の日本社会において、「表現内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。

敗戦体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。

一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民暴力的な自力救済抵抗運動共感しなくなっている。

コンプライアンスに敏感な時代からこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。

かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制洞察した。一方、アメリカ民主社会には、世論専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派少数意見排斥するような雰囲気社会が醸成すると実質的自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代キャンセルカルチャーなどの課題を予見している。

――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力倫理的な共感はあるのか。どんな社会私たちは避けたいと思っているのか――

憲法理論制度保障を語る上では有効であるしかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度いか自由を守るか」ではない議論必要だ。自由擁護する倫理共感の土壌がなければ、制度簡単形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。

社会同調圧力空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。

2025-04-01

anond:20250331213005

嫁姑問題ほとんど夫の問題であって、これほどアホらしいものはない。

嫁と実母の板挟みになった時、自分は嫁の味方だと宣言できない夫なんて、さっさと離婚して正解。

2025-03-16

anond:20250313204335

うーん、、息子はいつまでも子ども扱い、娘とは対等な女同士、となるの、「男尊女卑」ですかね。。また、母がこう育てたら子はこうなる、というような単純なものではないですよ育児、、、成人男性ではなく男児親を非難するの、微妙では。。💦

男児親としめら、息子の妻にはどんなタイプが望ましいのかな、と考えて、、、

私は義母下位互換上位互換ではないから、嫁姑関係比較的うまく行ってる、というのはあるかもしれません。。

(ただし、同性カップルでも、配偶者の親と緊張関係になることはあるらしいので、、、私が女ジェンダーこなしてないことと嫁姑関係との関連は不明っちゃ不明。。)

育児男尊女卑なあ、、、

娘に、ダラダラ同棲せずにきちんと籍を入れろとか、おいそれと体を許してはダメだとか、経済力のある人を選べとか、そういうこと言ってる親はそれなりに多そうですよね。。

いつ離婚するか分からんから安易仕事を手放すなとか(男子に言わず女子にだけ言いそう💦)。

自身もそんな感じのことは言うことがありますし。。

2025-01-30

少女漫画って名称が良く無くて、

事実嫁姑漫画みたいな恨みつらみの作品が女向けの作品なんだろうな。子育てちょっと聞いてよ系とかエッセイみたいなのが。東京最低最高みたいなの

2025-01-29

少女漫画は幅広すぎて全体を語るのが難しい

この話題とはほぼ関係ないけど、一番下に聖闘士星矢スピンオフリンク貼ったか時間あったら少女漫画世界に転生した聖闘士星矢を見てくれ。

ここから本編。

あっちを語れば「あれはどうなん」「こっちもあるんだが」とすべてに関して片手落ちになる。

「1千万部売れたやつなら大抵は読んでて語れるだろ?」いやいや、いくら売れてても読んでなかった人は沢山いるのだ。

例えば歴代の売上だ。検索してみた。上位から

花より男子 6100万部

ガラスの仮面 5000万部

NANA-ナナ 4300万部

王家の紋章 4000万部

のだめカンタービレ 3700万部

ちびまる子ちゃん 3200万部

フルーツバスケット 3000万部

ときめきトゥナイト 2800万部

イタズラなKiss 2700万部

あさりちゃん 2650万部

全部タイトルは知っているが、まともに読んだことがあるのはガラスの仮面NANA王家の紋章のだめあさりちゃんくらいだ。何故って花とゆめLaLa、ぶ〜け読者だったから。(フルバの頃には花ゆめ卒業していたので読んでいない。)おそらく少女マンガ王道であろうりなちゃりぼんちゃおなかよし)やマーガレットコースを通らなかった人生だった。

その他、雑誌は読んでいないが作者や作品単位では萩尾望都も読んでいる。そこから時々Flowersも読む。のだめコミックス買いで雑誌は読んでいない。花ゆめから出ていった漫画家を追ってWINGSも読んでいたこともある。遠藤淑子は花ゆめ時代からずっと作者買い。今月も新刊が出たので即買い。

(ちなみにNANA雑誌Cookie読むついでに少し読んでいたが、作者が重い病気にかかり連載が中断、未完のままなのはご存知か。ガラスの仮面もよく名作だと語られるが、90年代からストーリーが迷走を始め昼のメロドラマみたいなことになり、ほとんど休載状態のまま現在まで未完のままだ。)

みなさんはどうだろう。どの道を通りましたか

ブコメ雑誌KISSFlowers少女漫画じゃないと言われてたけど、出版業界では「ヤングレディース」「レディースコミック」みたいなジャンルに分けられているようだ。でも大きな括りでは少女漫画だと思っている。少女漫画読者の間ではレディコミといえばコンビニで売ってるような、エロ主体のドロドロ漫画嫁姑バトル、不倫ものみたいな漫画を指し示すことが多いんじゃないかな。ネットで「レディコミ」と呼ばれるときは大抵そっちの話題だ。

そういえば、何故か「ハーレクインロマンス」のコミカライズに関しては「ハーレクイン」は少女漫画とは別ジャンルとして扱われている。ほぼ少女漫画出身の作者が描いていると思われるが、「少女漫画からハーレクインに行った」と言われることが多い。漫画自体コマ割りや表現は完全に少女漫画手法だと思うが、別物扱いだ。

ちなみに秋田書店プリンセス王家の紋章掲載雑誌だが多分王家の紋章のおかげでかなり高年齢層が読んでそう。70代、80代も読んでそうだと思う。でも少女漫画雑誌なんだよね。もう全部少女漫画でいいよ。少女漫画概念。読者層を表す言葉じゃなくなった。よく考えたら少年漫画もそうだよね。週刊少年ジャンプだって老若男女読んでるはず。

女性漫画家少女漫画雑誌より青年誌に行くのは、単にそっちのほうが読者数が多いからでは?主に女性しか読者がいない少女漫画雑誌より男女ともに読者がいる雑誌の方が読者数多くないかね?

関係ないけどプリンセス、今聖闘士星矢スピンオフカードバトル漫画の連載始まってるんだね。面白すぎるw

今ならプリンセスサイトで試し読みできる

https://arc.akitashoten.co.jp/comics/saintmariya/1

2024-10-22

名作といわれる昭和映画「はなれ瞽女おりん」(1977年)を観たので感想を書く

最近昭和ドラマ映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。

正直、この年齢になるまで篠田監督作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物人間性時代矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。

映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵鶴川原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女瞽女共同体である高田の一座から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身選択ではなく、レイプによるものだった。

そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族存在がほのめかされ、ついには母親存在告白するシーンは映画クライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。

時代背景と家制度矛盾

この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。おりんと鶴川共通するのは、このイエからの周縁性だ。

天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパ統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体世帯すべてのレベルで上から下まで論理的整合する入れ子構造にするために、寺子から氏子へと転換する廃仏毀釈という荒業まで行った。イエの主従関係は、現代にいたるまで日本人のDNAとまでいえるほど根深い。嫁姑上司部下、先輩後輩など。どんなに言っていることがおかしくても絶対である、という点で共通倫理だ。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。

大正デモクラシーはそうした不条理解決する機運として盛り上がりを見せたが、やがて不況日本を襲い、財閥と大地主の利害を代弁した立憲政友会に幻滅し、人々の失望とともに大正デモクラシーは終焉を迎えるのだ。当時、腐敗した政治毎日新聞をにぎわせた。

脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたとき鶴川叫び「何が、国民皆兵だ。金持ち徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度矛盾を背景に、映画鶴川叫びやおりんの境遇を通じてその時代不条理を描いている。

また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子もこの映画は巧に表現している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子は、急速な近代化による価値観生活の変化を象徴している。

そうした社会状況のなか、おりんは一座から破門され、「はなれ瞽女」となってからは一人で生きてゆく覚悟を決めた女性だった。旅の途中で長岡のはなれ瞽女若いころの樹木希林)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。またおりんも同じ境遇のはなれ瞽女出会いを通じて、自立して生きてゆく勇気と自信を得ていたように見えた。しかしやがて愛する男との別れを契機に、おりんは猛烈な不安に襲われる。それは周縁であるがゆえの存在論的な不安だ。

男女の非対称性

この映画特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。

鶴川官憲連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。

鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけたおりんの手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このとき岩下志麻の演技すごい。

このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station降旗康男監督1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。

水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。

好きな男には帰る場所別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。

おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないかあんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊のシーンだ。

鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。失恋でつきつけられる差別社会現実瞽女文化の衰退、はなれ瞽女であるおりんの存在論的な不安定はここに極まってゆく。

鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。

女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はない。これは同時代の歌でいうと、中島みゆきの「生きていてもいいですか」「エレーン」や山崎ハコの「望郷」と同じ世界線だ。対照的に、同時代男性歌手では、何気に上京してもふるさと愛にあふれている、という世界線の歌が多い。男には、失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、というまなざしだ。「母に捧げるバラード」の海援隊松山千春の「旅立ち」が典型

この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマおしん」でも同様にみることができた。

おしん物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲拷問され転向余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家父親貴族院で太かったのだ。事業に失敗したおしんの夫・竜三を救うのも佐賀実家だ。一方、おしんにはセーフティネットとしての故郷はない。振り返るという選択肢は存在せず、ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。

水上勉の描く世界と非常にシンクロした世界観だと思う。



映像表現演出の巧みさ

「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。

男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい自分の育った場所を確かめに行く。しかし、時がたち、すでに瞽女時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって、一人はなれ瞽女として宿場町を回る日々。おりんの着物がボロキ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポ絶妙だ。

また、ラストシーン親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、ズームアップされるトンネルの測量機器と遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端の遠近感は、鉄道の普及と瞽女文化終焉を見事に演出している。さすがだわ、この演出家、そしてカメラワークに感嘆ぜざるを得なかった。映像を学ぶ人にはぜひみてもらいたい作品

おりんの物語は、単なる一人の女性悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代のものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。

篠田正浩監督が描きたかった「日本原風景」とは、単なる美しい日本風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様のものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和ドラマ映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。

また、ドラマおしん」と時代が重なるところでは、国民統合や周縁性に関して、もう少し思うところがあるので、またそのうち増田で。


2024-10-02

俺の人生って何なんだろうな

小学校低学年の時に父親が死亡。以来、母と父方祖母自分という歪んだ家族構成でボロ家で高校卒業まで過ごす。母は嫁姑問題ノイローゼ気味だった。そんな家も火事起こして全焼。就職して家からは出ていたが、火事を知らせる電話口での母の取り乱し様はかなり来るものがあった。近所に謝罪挨拶回りしたのは今思い出しても惨めになる。

2024-09-26

持ち家と親の老後問題

まらん贅沢な悩みとは思うが一応書く。

おれは結婚して小学生の子供と東建コーポのありきたりな2LDKアパートに住んでいる。

実家はおれの勤務先からは50km離れてて、日本庭園付きの100坪と一見してなかなかの豪邸だけど築60年。下水接続もしていない。

そこに母が住んでいるが、正直どうしていいかからない。

母は、庭の草刈り雨漏り等の対応疲労困憊なので売りたい売りたいと長年主張している。

とはいえ、売ればせいぜい3000万から4000万円で、この金額でどこかに買い替えるにしても二回り以上狭い中古住宅になるだろう。

面倒だという日本庭園剪定作業も、シルバー人材センターに依頼して月1万円程度で済む。

これをわざわざ自分でも手伝って大変大変と言ってるので、俺にはその主張が合理的とは思えない。

また、母は貧乏性というべきなのか昔からテレビ家財も小さいものがいいと主張し、亡父と度々衝突していた。

住居も、今の家は広すぎるから小さいアパート引っ越したいと言うが、100坪の家を売ってアパートに引っ越すという感覚は俺には理解できない。

金銭的には年金が毎年200万に預金2000万で、贅沢はできないが不安材料はない。

しかし、会うたびに家の管理が大変だ、今後家をどうするべきかと切々と訴える。

売っておれの自宅建設の資金にしていいともいう。

俺は、

「売却して遥かに小さい家やマンションを買うのは不合理すぎてありえないし、自分仕事子供学校周辺の状況から当面は賃貸で済ませる。

母と同居するつもりはないし、自宅購入資金自分用立てる。

ここは確かに単身で住むには広いが贅沢な悩みで、仏壇を置いてるし孫が気兼ねなく遊べる貴重な環境だろう。

コンパクトな住居に住みたいなら今すぐにでも引っ越せるし、実家の売却は必須ではないだろう」

と何度も説明してる。しかし、管理が大変云々の話を繰り返すばかりで何も進展がない。

おれはどうすればいいのか。

A案:実家を3000万から4000万円で売る。おれの自宅購入資金+母の老後資金とする。母は好きな場所に住ませる。

B案:実家賃貸に出す。賃料の使途はA案に同じ。

C案:リフォームしておれが妻子と住む。ほぼ無理。嫁姑問題のみならず、おれの勤務先や子供学校とも遠すぎる。

D案:現状維持

2024-08-29

anond:20240829133538

嫁姑問題は望んで、あるいは望まれてやってたのかもな

2024-08-19

コロッケの唄

一.

ワイフもらって 嬉しかったが

何時も出てくる 副食物(おかず)はコロッケ

今日コロッケ 明日コロッケ

これじゃ年がら年中コロッケ

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し(おかし

二.

晦日みそか)近くに 財布拾って

開けて見たらば金貨

ザッククザク ザックザク

株を買おうか 地所を買おうか

思案最中に 眼が覚めた

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

三.

芸者が嫌なら 身受けしてやろ

帶も買ってやろ

ダイヤもやろう やろう

今日三越 明日帝劇

いふて呉れるやうな客がない

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

四.

亭主もらって 嬉れしかったが

何時も出て行っちや滅多に

帰らない 帰らない

今日も帰らない 明日も帰らない

これじゃ年がら年中 留守居

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

NHKドラマおしん」のなかで、大正12年9月1日、田倉商会の新しい工場開業祝いの準備中に子守を任された源じいが歌っていたのが、このコロッケの唄(大正6年版)。wikipediaによるとコロッケの唄は、その後、昭和37年浜口庫之助五月みどり)版、平成版、令和へとなんどかリメイクされて歌い継がれてきたようだ。

大正時代コロッケは、現代と違って、手ごろなお惣菜ではなく、東京などの洋食店しか食べられない高級食品。この夫婦富裕層であることがわかる。二番以降もあわせてみると、大戦後の好景気を反映し、一般投資家が増大した世相を色濃く映した、興味深い唄だ。

先日、以前より気になっていた番組DVDで購入した。

それはおしんの番外編。1983年放送当時の8月おしんを演じていた田中裕子が過労静養のため撮影を中断せざるを得なくなった事態になって、急遽制作され、放送時間帯に15分ずつ6日にわたって放送された番外編「もうひとりのおしん」だ。これは、おしんと同時代を生きた山形東京女性に当時の話を聞くという番組関東大震災前、おしんはラシャ問屋がつぶれたあと、子供服の店を田倉と始める。同番組では当時、日本橋横山町子供服を始めたというおばあちゃん放送当時90歳)の話を聞く場面がある。まさにこういう話を聞きたくて、わざわざDVDまで購入したのだが、見てよかった。

それまで和服日本髪というのが当たり前だった日本人服装が、洋服に変わっていったのは、関東大震災の後だといわれる。

このおばあちゃんインタビューで「大震災があったでしょ、それからみんな裸になっちゃいましたから。それからだいぶん、服が変わっちゃいました」と答えている。この簡潔な一言歴史ダイナミズムが凝縮されている。

おしん物語では、田倉商会が時代を先取りする形で安価既製服商品としての子供服のポテンシャルを見抜き、田倉の再起を賭けた。そのドラマの展開にリアリティを与えるインタビューだった。

もっとも、おしんは当初、夫である田倉竜三の羅紗問屋事業失敗に懲りていて、大して商才もないのに夢ばかり大きい夫の行動が不安で仕方がなく、本当は手堅く地固めをしたい。子供服作業場拡張には反対していた。だがやがて夫を信じようと思いなおし、夫の夢に賭けるようになる。

おしんドラマは、10年に一度くらい再放送で目に留まって数話くらいずつ散発的にみていたのだが、今回、腰を据えて全297話をみていると、ドラマ演出がなかなか面白いことにも気が付いた。例えば、夫に商売の才能がない部分を自分の働きで夫婦の稼ぎをカバーしようと自分なりの仕事を始めて成功してしまう場面。プライドを傷つけられた旦那は「髪結いの亭主さながら飲み歩くだけの怠け者になってしまう。夫を堕落させたのは自分だと気が付いたおしんは、あえて自ら稼ぐことをやめ、夫を立て夫がいつかまじめに稼いでくれるのを信じることにした。その結果、やがて今日明日の米に困るほど夫婦は追い詰められてしまう。田倉はようやく目が覚めて商人の道を諦め、勤め人として働きだすようになった。その様子をみて安心したおしんは、田倉商会の将来的な再興を目指して、子供服商売のための子供服のデザインなどこつこつと準備を始める。おしんデザインをみた田倉はおしんの才能を知り、いったんは勤め人として手堅く暮らそうとしていたのに、勤め人をやめて子供服商売にまた再起を賭けようと夢を語り始めた。おしん相談もせず勝手ミシンを購入したり、ひとを雇ったりとおしんを戸惑わせた。あげくは事業拡大のために借金をして工場建設をすると鼻息荒くしていう。

そんななか、ドラマの背景で、東京の街中で流れてくるのは「船頭小唄」。おしん不安象徴させる、にくい演出だと思った。

そして、大震災当日の朝、順風満帆工場開業の祝賀を催す準備のさなか、田倉竜三の子供のころからのお目付け役である源じいが歌っていたのが冒頭の「コロッケの唄」だ。源じいは昼に発生した地震で亡くなってしまうので、源じいが幸せだった最後の瞬間だったといえる。その浮かれた雰囲気を、その時代の空気とともに、この歌はとてもよく演出している。

その後のドラマの展開は、田倉の本家である佐賀舞台うつし、橋田壽賀子お得意の嫁姑地獄が待っている。

おしんの味方になるはずの夫や舅はことごとくだらしなく、おしんに対する姑のいじめ現代では信じられないほど陰湿だ。

そのうえ男尊女卑がきつく、おしん物語佐賀時代が一番つらい。ここだけみると佐賀が嫌いになる。

2024-07-16

よく考えたら際どい名前商品

コンビニでも売ってる商品で、これは嫁姑的にやばい名前だなとふと気がついたので検索したけれども別にそういう叩かれ方はしてなかった。家庭板脳すぎた。

2024-06-19

anond:20240616113536

38歳年収550万円残業年100時間でも地方で親が同居希望だと流石に婚活は難しい

地方メーカー工場勤務で労働条件やら年収地域の中では相対的に悪くはない。転勤が生じる職域でもない。

ただ、このご時世に親が同居希望って点だけで終わっている。

元増田はその点チャンスがあるよ、多分。

自分長男から耐えられなかった。

嫁姑愚痴を聞かされそれをケアして育ったので、どちらかが存在しない生活じゃないと無理。

ちなみに世代的に氷河期というよりもリーマンの影響じゃねとは思ったが。

2024-06-09

anond:20240608220056

マスゴミのせいだよ

3Kだとブルーカラーを叩きまくって、さら農家嫁姑問題で叩きまくった

いまだに女がバブルの1000万を希望年収にしてるのもマスゴミが散々煽ったせい

2024-05-27

anond:20240526195357

「このままでいいのか」の言語化が足りない。

嫁を変えたいの?

自分が変わりたいの?

読む限り増田は嫁に思い通りに変えたいだけで、自分は行動も考え方も変える気なさそうに見えるんだが。

親切のつもりなら本人が嫌がっててもやっていい訳? 大きなお世話/有難迷惑って知ってる?

今の増田の苦しみは「DVできなくて辛い><」という身勝手過ぎる苦しみに見える。

加害しといて被害者ヅラしてんじゃねーよ。反省しろ

具体的には謝罪して再発防止しろ

買ってくんなと言われてるんだから買ってくんな。

なんでも美味しそうに食べる姿が見られなくなったのは増田自業自得だよ。

(蛇足だけど、義実家賞味期限切れ間近の食材を送ってくるくらいアウトな嫁姑関係なのに、増田実家の肩を持ってる時点で増田と嫁の溝はかなり深刻だよな。増田自覚ないのが更にヤバい。今回の件で増田が嫁の要望に耳を傾けないなら、嫁はもう増田との話し合いという手段は切り捨てて『増田的には突然の』離婚ってことになるだろうな。楽しみ。離婚されたら教えてね)

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