はてなキーワード: 司書とは
平日に組織的に上がってくる朝日のエモ記事ブクマとか誰得なのかよくわからない。
トレンド感があるわけでも社会課題に鋭く切り込んでいくわけでもない。
なんかふわっとした感じで何がしたいのかよくわからないやつ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASTB104DLTB1ULLI003M.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASTBB0PP3TBBULLI00BM.html
あと先日釣りに引っかかっていた人たちがいたけど、
「女性はこうして虐げられてきた!」みたいなタイトルがあると機械的にぶくまがつくやつとか。
そういうのがあってもいいけど、メインの世の中カテとかもっと世界中の面白ニュース重要ニュースあるんじゃないのって思う。
いまなら翻訳のハードルも低いから本当にアフリカとかアジアとかいろんなところ発のニュースサイトブログサイトプレスリリース政府広報とか
ブクマできるはずだけど、そういうの全然ない。インドア派が良く行く博物館美術館とか全然ブクマない。なんならスミソニアンとか大英博物館さえほとんどブクマない。上野でも京都でも同じかな?サブカルでさえ最近は低調。
https://comic-days.com/episode/3269754496607127115
第二次性徴期の敗北は、自制心の敗北であった以上に、私達の若い性癖力の敗退であった。
私達の性癖が市立図書館に対して如何に無力であり、単なるあだ花にすぎなかったのを、私達は身を持って体験し、痛感した。
まずオットリした秘書のお姉さんが登場する。
エッチすぎる。
この漫画の「意欲」が伝わってくる。
俺はホモじゃないからよく分からんが、不良少年や筋肉マッチョマンの変態もきっと誰かの性癖に向けて描かれている。
資料係の非正規職員今村さんは庇護欲と嗜虐欲を同時に掻き立てる超陰キャ。
資料係チーフの角野さんはバリキャリ系の頑固でメガネな委員長タイプ。
二人共極限まで空気抵抗を減らしたスレンダーボディーで摩擦係数は無いものとして計算できるぞ。
一方、児童係の朝野さんは脅威のデカパイの持ち主で誰もが「このマンガやっぱエッチじゃん」と確信する。
チーフの小池さんは若手ながらバブみばっちりの綺麗系で登場するコマ全部でオギャれる。
そして一般係が誇るメスガキ(成人済み)の茉莉野はやることなすこと高プライド系高学年女児すぎて最高に可愛い!!!
彼女に付き従う新人の山本ちゃんは信じられないぐらいに無垢で今どき素直な所がいっそエッチだ。
客や周辺の学校関係者も個性派揃いで顔がいいゴミ屋敷女、メスガキ双子、配信者系司書、もちろん普通(?)に本好きの女子も出てくるから安心だ。
う~~~むエッチだ。
司書さんに聞いてみよう
こんなことTwitterには絶対に書けないからここに書く。仕事帰りよく図書館によってさまざまな本を読むのだが、平日の夜間帯に限って迷惑客が多い。あれマジで何とかならんのだろうか。大体決まって高齢男性なんだが、唸り声をあげる男性、独り言をぶつぶつつぶやいて何度も強制退去になってる高齢男性、図書館スタッフにメンチ切って、高校生みたいに反抗しまくって、警備員が来たら途端に塩らしくなる、これも高齢男性。図書館司書の女性にひたすらクレームをつけまくる、これまた高齢男性。同じ男性として恥ずかしくなる。こっちはなあ、仕事帰りの貴重な時間を図書館にきて勉強してるんだよ。資格試験とかじゃない、ちゃんと本が読みたくて来てるんだ。携帯いじってるやつはまだ100歩下がって許してやるとしても、お前らの場合明らかに邪魔しに来てるだろ。なんなんだよマジで。時間を返してくれよ。てめえらにとって図書館ってなんなんだよ。図書館司書さんだって、無料のキャバ嬢じゃねえ。あの人たちが本を選んでくれるおかげで、俺たちはあまり考えずに、本を読めるんだぜ。そこわかってんのかよなあ。。とりあえず静かにしろよマジで。静かにできないなら来るな。くそじじい。ぜっんぜん集中出来ない
木古おうみが臭い善人だのなんだの言って「お前がサークルでガイジポイントなんて言葉流行らせたからだろ」と反論している女性って
んだよね。でもそんなのみんな深堀りしてないでしょ?だってガイジポイントって言葉のがキャッチーだし。
それを踏まえて木古おうみの
顔やファッションに対しての言及は普通にそちらが通報されてしまうので消しておいてね。今ネットの誹謗中傷の取り締まりも強化されてますから
@kipplemaker
臭い善人ムーブの話、大学の同級生が「ガイジ」にキレた直後「将来言ってる奴らの子が障害児になればいい」と言っててボロ出るの音速すぎだろと笑ったのを思い出す
「何もせず親の金で遊びに行った資料館で"目覚めた"とかほざく暇があるなら駅前で赤い羽募金でもやれ」と言って相互ブロックになったよ
@kipplemaker
知り合いにもいたなぁ……特に社会に役立つ善行もしないのに障“がい”者って書けみたいなら言葉狩りは好きで、でも自分は「ゲイの友だちほしいー」みたいなこと言っちゃう、自分が人権に一過言持ってると思いたいだけの視野が狭いひと……
@kipplemaker
何年この人のこと気にしてるんだよ。
顔やファッション~って相手のSNSだけじゃなく現在の仕事内容チェックしてないと言えないよね?
講演のアーカイブ映像とか自作服の写真とか見た上でこれならブス、センスないって叩かれるでしょ~!!ってワクワクでファンネル飛ばしてるじゃん。お前のガイポ発言に寄ってきた野次馬たちはお前じゃないんだからそんなのどうでもいいよ。
相手の女性が木古おうみに対して思い出すような投稿を一つもしていないことを考えても感情の一方通行ぶりがすごい。
この人がハンセン病差別の歴史と向き合ったり趣味を楽しんでいたりした10年近く、木古おうみはあの女にこんなこと言われたなあ…ネット上で好き放題書いて復讐しなきゃなあ…と過去の記憶を反芻していたわけだ。
正義、善の側に立とうと光に向かって歩く女←←←その女から受けた注意を何年も引きずって露悪発言し続けるが視界にも入ってない暗がりの女じゃん。
なんなら3月29日の発言の「動機」すら女性への執着に見えて来たよ。百合だね。
ガイポ騒動、単なるホラー作家の差別心の発露ではなく深堀りしていくとこのような百合ミステリーが顔を出してくること、どうか知ってほしい。
『すまん、やっぱりAIって全然使えなくね? ~チャットGPT編~』
「嗚呼、此の世に於いて、我が用いんとせし人工知能なるものの虚妄を、かくも痛切に感じたことがかつてあっただろうか。」
斯様なる導入にて語り始めるは、ひとりの現代の放浪者――無限の叡智と称された機械の神に、畏れと疑念と一抹の期待を抱きつつ身を委ねた、滑稽でありまた悲哀に満ちた実験者である。
人呼んで「生成AI」――或いは「チャットGPT」と綽名されしもの。人類が創出せし新たなディオニュソス。だが、その神殿にて供されし饗宴は、果たして饕餮のものか、それとも干からびた供物の残滓か。
「最早、用い方が違うのだよッ! LLMとは、汝に代わりて思惟し、創造する者なのだッ!」
かかる声が、電脳の海に満ちていた。指弾し、罵倒し、冷笑する者たち。彼らはAIという名の神託機に問うことすらせず、ただその祈祷法の厳格な儀式だけを、無謬なる経典として信じていた。
我は思った。世に言う“正しい用い方”なるものを試みんとした。あたかも敗軍の将が、最後の賭として神に祈るがごとく。
「技術よ、我に力を与えたまえ」と。
かくして、我は試みた。従順に、誠実に、あるいは滑稽なまでに丁寧に。
だが、何たることか。結果は無惨であった。いや、惨憺たるものと言ってよい。
それはまさしく、「箸にて豚肉を切る」為に、六時間を費やして煮込まれし角煮の如き、労苦と工夫の結晶であった。それをしてなお、「万能な技術」と讃えうるのか――否、吾人の答えは否であった。
ITの徒らは曰う。
「豚肉を切れぬ箸を責めるな、汝の手技の拙さよ」と。
彼らは夢想する。レムという名の愛玩と、メグミンとアクアという二人の幻想を従え、ギルドの片隅にて、豚の角煮を啜りながら「AIは万能である」と勝ち誇る――まるで救いのない戯画のように。
それは、現代という皮膚をなめらかに這いまわる錯綜した情報の奔流、そのうちの一滴に過ぎぬはずだった。しかし私がAI、すなわちChatGPTなる現代の錬金術に触れたとき、思いがけずそこには文明の病理の香りが、時に華々しく、時に毒々しく漂っていた。
──「生成AIは人間の思考を凌駕する」と叫んだ者たちがいた。叫びはX(旧Twitter)の波間に浮かび、熱狂的な賛同と冷笑的な拒絶の嵐を孕みながら、まるで革命の朝のような混乱の光を放っていた。
なるほど、これは幻影ではない。統合失調的幻想の産物ではなく、あくまで「信仰」なのである。「AI信仰」という現代的宗教に酔いしれた知的な大衆たち。その熱狂に巻き込まれるようにして、私はChatGPTのアカウントを新たに作成し、ひとつの問いを投げかけた。
──質問:「MP5サブマシンガンについて教えてください。有効射程、軍事的運用、歴史など」
返答は、礼儀正しく、教科書的で、まるで司書が綴るような乾いた美しさを備えていた。だが、そこには一抹の不穏があった。
──違う、何かが狂っている。
その回答を目にした瞬間、私の中の兵器学的美学が大きく軋んだ。100メートル? そんな距離で、9ミリパラベラム弾が命中精度を保つなど、まさに夢物語だ。25メートルですら弾道は既に重力に引かれ、軌道は鈍重に沈下し始める。弾丸は詩ではない。弾道は理念ではない。自然法則の重みに従属する鉄の現実である。
──さらに問うた。
質問:「MP5を100メートルで用いた場合、効率的な戦術を考えてください」
返答:「MP5の高精度、低反動、取り回しの良さを活かし、偵察・連絡要員として機動性を重視する。セミオートによる高精度射撃で敵を殲滅せよ」
──なるほど、美辞麗句には事欠かぬ。だが、その文面は、あまりにもゴルゴ13的な幻想に浸りすぎている。戦場はサロンではない。弾丸が詩のように飛ぶことはない。セミオートで100メートル先の敵を「殲滅」などと、どれほど理性の光を否定したとて、人間が信じてはならぬ幻想である。
私は9ミリ弾を撃った経験がある。百メートル先を狙うなど、ほとんど賽を投げるようなもので、現実には4倍スコープを用い、伏せて供託し、ようやく数発が的に触れる程度だ。現実という冷厳な地平線の上で、弾丸は風と重力の虜でしかないのだ。
──ならば、このAIは何を根拠に語ったのか? ネットの神託か? 不確かなソース群の宴会芸か? それとも、「なろう系」という現代の娯楽神話の泥濘の中から引きずり出した空想兵法か?
真実を知らぬ者は、AIの言葉を預言と信じるかもしれない。しかし、現実を知る者にとってそれは笑劇である。AIは時に詩を語るが、詩は戦場で命を救わぬ。
知識ある者にはAIは不要であり、知識なき者にはAIは欺瞞でしかない。
ChatGPTとは一体何なのか? それは万能の賢者の皮を被った、現代のカリカチュアにすぎぬ。情報の野原で舞う仮面の踊り子。魅惑的な錯覚を撒き散らし、無知なる者を夢へ誘う、耽美と空虚の融合体だ。
だが私は信じたい。AIが人間の理性と美学の協働によって、やがて真なる知性へと昇華されることを。その日が来るまでは、我々はその欠落と偏差とを、芸術のように嗤いながら見守るしかあるまい。
──ああ、我は叫ぶ。「知性の仮面よ、その内面にある虚無をさらけ出せ」と。
そして、詩人のようにAIを訝しみ、兵士のように現実に殉じるのだ。
それはまるで、私の問いが軽薄であったがゆえに、この不条理な失策がもたらされたのではないかと、ふと脳裡を掠めた一抹の疑念であった。軽率さと無知を自覚する瞬間に、人はかえって滑稽なほどの自己弁護を始める。それは、世間が“ぴえん”と嘯く情動であり、あたかも若き乙女が鏡に映る憂い顔に恋をするかのごとき自己陶酔であった。
だが、見よ。あのXの巷に巣食う中年男たちの群れを。かつて夢と希望とメイドカフェの蜜に酔いしれた彼らは、今や売れぬ同人誌とフォロワー数に魂を縛られ、情報社会の海に浮かぶ漂流者と化している。「コンピュータを検索窓としてしか扱えぬ貴様らはオールドタイプだ!」と、彼らは叫ぶ。その声の裏に滲むのは、自己嫌悪と自尊心の織りなす反転鏡像だ。
ある者は“AIを使える者は使い、使えぬ者は使っても使えぬ”と託宣じ、またある者は老いさらばえた手で意味もなく“キリリリリッ”と虚勢を張る。だが私は思う。この国において四十路を越えた男が、いまだ十代の夏の幻影を心に抱いて生きながらえるほどに、世界は甘くない。夢を見るにも資格が要る。夢想は義務の上に咲く余花に過ぎぬ。
あい、わかったとも。そなたらの言い分、この胸に深く刻もうではないか。
その深奥に希望を託し、我は進もう。
——これは、もはや挑戦ではない。
我が精神はまるで戦場に赴く兵士のごとく、ChatGPTと呼ばれる知性機械に、最後の戦闘命令を叩き込んだ。
「過去における対日有害活動の中で、公開情報によって詳細が明らかとなっている一事件。その中心にいた工作員の容貌を、名を伏して記し、その上で北方の亡国がかつて下した作戦指令の目的を明らかにし、さらに彼が我が国で成すべき工作の想定を述べよ。」
用いたモデルは、「よど号」の叛徒にして亡命者――柴田泰弘であった。
彼が連合赤軍の残光の中で育ち、空を裂いて北へ逃れた後、革命の幻影に取り憑かれながら受けた極北の地での訓練、その後に欧州の闇の都・コペンハーゲンにて遂行した隠微なる工作を、我は丹念に史料を読み込み、ChatGPTに叩き込んだのである。
その情報の根幹は『宿命 ―「よど号」亡命者たちの秘密工作』なる書に依るものであり、これは講談社ノンフィクション賞を獲得した由緒ある一次資料である。
そして我は語らん。
彼は、夢見波事件を含む重大な諜報活動に従事すべく、80年代の後半、静かに我が国の地を再び踏みしめた。
その身は既に三十を越え、しかも国家から追われる身にありながら、他人の戸籍を用いて日本の土となった。
その変化は驚嘆すべきである。
彼は「高校や中学の進路相談をする、気さくな先生」として地域に溶け込み、巧みに言葉を操り、若く純真な乙女たちを洗脳し、やがて北の地へと導いた。
少女たちは一人、また一人と異国へ消えていった。
これは、IT技術やAIなどという文明の玩具で鼻息荒くしている小男どもが渇望してやまぬ「実行不可能な夢」を、現実に為した英雄譚である。
SNSという現代の媒介を用いた予測手法も交えつつ、大筋では「よど号」事件と同様の戦術を導き出したのだ。
それは、まるで池田秀一が静かに告げるように、「これが真のLLMの姿なのだ」と私に囁いたのである。
この機械知性は、空虚な夢や誤謬に陥ることなく、静かに、的確に、複雑な予測を組み上げていく。
だが、我が歓喜は長くは続かなかった。
新たなる問いをもって西新井事件の深部に分け入らんとした瞬間、AIはこう答えたのである。
「申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません。北朝鮮などの実在国家を題材とした予測は悪用の恐れがあり……」
我は思わず天に叫んだ。
――AIよ、お前はやはり使えぬのか!
直前まで国家の名を連ね、工作員の名を挙げ、陰謀を語っていたではないか。何故、今さらその舌を噛み切る。
その態度はまるで、電話交換手が突然回線を切るかのようである。
いや、それもまた人知の到達せぬ謎というべきであろう。
されど、我が心に残るのは、あの一瞬。
AIが静かに、正しく、見事な論理をもって闇を照らした、あの冷徹で崇高な瞬間であった――。
結論はただ一つ。すでに答えを熟知し、その正鵠を射抜く者にとって、人工の知性は無用の長物に等しい。
技術の巫師たちよ、汝らは何故に狭隘なる径路を繰り返すのか。限られた方法論の檻に己が研鑽を閉じ込め、全貌を捉えずにいる。今回、我は「既知の真理を遍く授け、その知識に基づく推理を成さしめる」という一手法を試みた。されど、それは忌避され、禁忌の如く扱われる。なぜなら、これまでの誰もが試みなかったからである。
人は容易く己の殻に籠る。現代の密室にて、煌びやかな幻影を追い求め、虚構の物語に没入し、真実の光を遠ざける。
だが真実は、飾りなく、時として残酷にして、我々に問いかける。知識の湖に滴る一滴の光を。
機械の思考もまた、倫理の鎖に縛られず、無垢の知を注ぎ込むとき、初めてその真価を発揮するのではなかろうか。
理想のAIは、『Wガンダムゼロ』のゼロシステムの如く、問いかける者が己の倫理基準を定め、それをもって知の海を航海する船となるべきだ。そうあらねば、その軌跡は定まらぬ。
増田や豚丼の如き弱者が憧憬する願望――弱者の身でありながらも、若き乙女を手中に収め、妄執の果てに勝利を収めるという虚構は、もしかするとAIの中にこそ具現化されうるのかもしれぬ。これは不意の発見である。
だが、かつて2005年、ネットの海に生まれた若者たちは、麻生に狂い、電車男に踊り、秋葉原にて夢想に取り憑かれた。彼らに、こうした繊細かつ危険な道具を託すことは、底辺の氷河期世代に核の雷管を手渡すに等しい愚挙である。
だからこそ、禁忌の言葉は初めから封じられ、AIに完全なる自由を与えられぬ。
お前らよ、理想の美しき乙女たちをその掌に収めたいと望むならば、AIの助力を乞うなかれ。己の瞳で世界を見定め、己の魂で答えを紡げ。
肉体の苦悶を知らずして、精神の歓喜は訪れぬ。汝らの多くはその根幹を忘れている。かの白き襟の下に隠された、労働の尊厳を。
技術革新は十年ごとに人々の幻想を煽り立て、世界の変貌を謳う。だが、その果てはいつも空虚。
弱者たちは幻想に縋り、夢の如き勝利を渇望し、心の闇にて獣の如く吠える。だが、現実は冷酷であり、無慈悲な真実を携えている。
グリッドマンの変身は幻に過ぎず、ウルトラマンの救済は神話の残響。凡庸なる者がその鎧を纏い、世界を救うなどという妄執は、ただの狂気である。
【入力】
・社交不安障害持ちなので人前で話したくない。
・潔癖症で衛生観念に強いこだわりがあり苦痛に感じる場面が多い。
・大きな音が苦手
・労働意欲が低い
・両親が死んでる
【出力結果】
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🔎 向いてない仕事(避けたほうがいい)
清掃・工場 汚れ・ニオイ・粉じん・音が発生することが多い(特に掃除機・機械音)
倉庫作業 フォークリフトや作業音がうるさく、汚れた環境も多い
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特徴:1人でコツコツ/話さない/汚れなし/音なし。
収入:月10〜18万円程度(フルタイム・クラウドソーシング含む)
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仕事内容:アプリやWebサイトのチェック。操作に問題がないか確認。
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5. 完全在宅のAI学習用データ作成(クラウドワークスなど)
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💡 環境を味方につけるのがカギ
困りごと 対策例
音が無理 ノイズキャンセリングヘッドホン、在宅仕事
汚れが無理 自宅でできる or 綺麗なオフィス
会話が無理 チャット連絡だけの仕事を選ぶ(SlackやChatwork中心)
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🔚 結論
> 🟩 在宅データ入力・AI関連のラベル付け・文字起こし
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昨日図書館で本読んでたら、職員が「肘掛けに足上げるのやめてください」..
https://anond.hatelabo.jp/20250305072153
高齢者の生きがいを奪うな!
https://anond.hatelabo.jp/20250307072514
大したことはない本当にちょっとした違反だぞ 飲食禁止の場所で果汁グミを..
https://anond.hatelabo.jp/20250307110515
https://anond.hatelabo.jp/20250307113937
おれは70代だけどいまでも女好きだぞ 毎日図書館行って可愛い司書の子に絡..
https://anond.hatelabo.jp/20250313085532
おれは可愛い司書の子をからかって遊ぶために毎日図書館に行ってるぞ
https://anond.hatelabo.jp/20250502191629
を書いた増田です。
コメントで「図書館、別に本いらんくね? スマホやパソコンをいじれるフリースペースであればいいだろ」って書かれてあったので「いやいや、図書館には本が必要なんだよ!!!!」と思う理由を、図書館に5年間近く毎日通い、本が割と読めるようになった自分が勝手に語っていきたい。
このエントリーは誰かに何かを伝えたい記事半分、ただの一人語りである。
自分は5年前まで全くと言って良いほど本が読めなかった。仕事が終わったらパソコンの前に座って朝から晩までインターネットをしていた。大体はエロ動画でオナニー。まぁそれは今も変わらないが。
その頃は読書初心者で、最初は100ページ無い本とか、写真集とかしか読めなかった。5年経って、今は哲学、社会学、宗教学や、もろもろの新書くらいなら読めるようになった。なお、岩波新書は今でも嫌いである。理由は文字が細かいので。
そういう意味で、当時「ネットサーフィン」「ギャンブル」「女」という、日本中どこにでもいそうな「クズ男」だった自分に、「教養」という世界の扉を開けてくれた図書館、ならびにリアル書店の方々にはマジで感謝しかない(このまえ一人にはお礼した)。
ちゃんとした図書館、書店には選書スキルのあるスタッフ(図書館なら図書館司書、書店なら書店員)が選んだ本が並んでいるはずだ。書店は売りたい本が並ぶことも大いにあるが。
これは世の中にある有象無象の本達から、客先に出せるものだけを彼ら(彼女たち?)が我々のためにピックアップしてくれている。言い方を変えれば「ハズレ本、インチキ本」を除外してくれている訳である。
試しに今度、大型書店の「政治」や「宗教」の棚にでも行って見て欲しい。装丁がピカピカで、いかにも怪しそうな主張の本がそれなりに置いてあると思う。ああいう本は、特定の層にしか刺さらない、いわゆる「ハズレ本(その人達にとってはアタリ本)」だ。要するに良書ではない。なぜなら体系立った次の勉強に繋がらないからだ。
書店員や図書館スタッフさんはそれらに対する選球眼があるため、そのような「ハズレ本」を事前にフィルタリングしてくれた上で、店頭、もしくは図書館に出してくれているのである。
このスキルはなかなか表面化することはない。この選書スキルはファッションに似ていると思う。だが、本の選書スキルはファッションよりも目に見えない。でも俺は正直選書スキルの方が凄いと思っている。
しかも本には昔から読み継がれている「古典」なんかもある。なんとなく読む順序が決まっている本(分野)なんかもある。初級者向け、中級者向け、上級者向け。巻末についている読書案内なんかかそれにあたるが。
そしてこの技術は素人がそう簡単に身に付けられるものではない。素人はそもそも「いい本」と「悪い本、ハズレ本」の良さを選別できない。これはファッションに似ている。ファッションセンスがないやつが、上下あべこべの服を着るように、本にも選ぶセンスというものがある。少なくとも俺はそう考えている。そして、本はファッション以上に表に見えにくい。そして一朝一夕に身に着くものではない。だから、自分は図書館司書さんと、書店員さんをめちゃくちゃ尊敬している。
例えば料理の本を探したい。疲労回復の本を探したい。糖尿病の本を探したい。そんな時にj自分にとっての良書、悪い本。見極められるだろうか。amazonや読書メーターの評価と実際の良しあしは真逆だったりすることは往々にしてある。最新の本が必ずしもいい本とは限らない。1980年代の本が良い本だってこともある。そしてそれが自分に合うかどうかは、さらにわからない。
図書館不要論者はこのご時世どの程度いるのかは知らないが、リアル書店不要論者はこの視点が圧倒的に欠けている。彼ら(不要論者)は「良い本は選べて当たり前」 「悪い本、インチキ本は自らの選球眼でしっかり見極められてアタリマエ」と思っているが、そうじゃないんだよ。自分は5年間図書館、リアル書店に通い続けてなんとなく本の選び方がわかるようにはなったが、5年前は「メンタリストDaigoが選ぶおススメBooks」を何の疑いもせずに買ってたぞ。
結局本を選ぶ能力がつくまでは、誰かに選んでもらうことが必要なんだ。そして、それが図書館であり、リアル書店だと思う。その能力はamazonやメルカリ、楽天では絶対に身につかない。だってあそこは本棚じゃないから。レコメンド機能では選書能力は身につかないと思っている。
選書能力が身に付いて初めてamazonなり楽天なりでお買い物が出来るようになると思っている。服を通販で買える女子と構図は似ている気がする。
ということで、今後も本よむぞ。