はてなキーワード: IT革命とは
「旗を巻け、剣を収めよ ― ネットを去るべきとき」 feat 司馬遼太郎
人間というものは、時として、自らを滅ぼす麻薬を甘んじて飲みつづけるものだ。
二十一世紀初頭、インターネットという名の大海に、人々は夢を託した。IT革命という言葉は、坂本龍馬が「日本を今一度洗濯致し申候」と叫んだときのごとき熱を帯びていたのである。
我らは信じた。この道の先に、新しい国土が開けると。そこには平等と自由と、創造という果実があると。
しかし──見よ、今を。
ネットの広間に響くのは、かつて夢を持った者たちの怨嗟である。かつてプログラムの一行に未来を見いだした者たちは、いまや民族を呪い、政治を罵り、思想を毒のごとく舐め、ただ怒りに己を焼いている。
ITの「ア」の字すらも、もはや語られぬ。
そこにあるのは、キーボードを剣に見立て、見えぬ敵を斬るつもりでいる者たちの空しい戦場である。
だが、その戦いは何を生んだか?
栄光か? 富か? いや、何も。残ったのは、乾いた目と、冷たい指先、そして毒に満ちた心だけであった。
思えば、我らの夢は叶わぬものだったのだ。
「いつか才能が開花する」「人生を変えるイベントが訪れる」──そう信じてネットに身を沈めたが、そんなことはなかった。
世界は進み、我らは止まった。IT技術の旗を掲げていたはずの我らは、旗を持つ手すら錆びつかせ、時代の二周遅れを歩く。
その間に、現実を切り拓いたのは誰か。
剣を抜かず、ただ黙々と働き、挑み、恋をし、人生という名の地図を広げた者である。
ならば、いま言おう。
空を仰ぎ、風を聞き、隣人と語れ。それこそが、今や失われた「文明人」の営みである。
我らの世代は敗れた。認めよ。その敗北を。
あれは毒であった。慰めであった。亡国の酒であった。
ならば捨てよ、すべてを。
手放せ。
そうすれば、楽になる。
──そう信じるほか、もはや我らに残された道はない。
時代は、人の運命を無情に弄ぶ大河である。古来より、勝者と敗者が織りなす歴史の綾は、変わらぬ。幕末の志士たちが維新の嵐に翻弄されたように、君たちもまた、氷河期という冷徹な冬に取り残された。弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼と嘲笑され、2000年代の秋葉原に魂を置き忘れ、肉体のみ老いたる少年少女たちよ。旗を巻き、剣を収め、兜を脱ぐ時ぞ。電脳の虚構に囚われし憐れなる魂よ、今こそ我に返れ。
かの秋葉原は、さながら戦国時代の合戦場のごとき賑わいを見せた。2006年の真夏、歩行者天国で君たちは「俺たちの麻生!」と叫び、オタクイズビューティフルと自嘲しつつ、邪教の舞を踊った。あの熱狂は、坂本龍馬が土佐の山中で夢見た革新のごとく、君たちに希望を与えたやもしれぬ。だが、それは幻影に過ぎなかった。Xなる電脳の広場で、今なお君たちはゴチャゴチャと逆張りの矢を放つ。図星を突かれ、プライドの城壁を必死に守る姿は、落城寸前の武将を思わせる。未だ、ありもしない人生逆転を、キラキラ輝く栄華を諦めきれぬのか。
聞け、君たちの夢見た物語を。それは、レムちゃんやエミリアたん、ウマ娘たん、Vtuberたんのような美少女が、君に発情し、結婚を前提に言い寄るという妄想。ライカン様めいたイケメンが、君を伴侶と慕うという幻想。会社で「俺またなんかやっちゃいました?」とわけわからぬことを口走れば、評価され、ちやほやされるという、なろう小説めいた儚き夢。あれは、君たちがネットの闇で散々嫉妬し、憎み、嘲笑した者たち――肉体を鍛え、頭脳を磨き、現実の戦場を駆け抜け、金と愛と勝利を掴んだエリートやリア充たち――にのみ許された特権なのだ。彼らは、司馬史観に言う「明治の若者たち」のように、時代の風を読み、血潮を燃やして高き城を築いた。君たちは、その背中を遠くから睨むしかなかった。
現実を直視せよ。君たちは敗れたのだ。完膚なきまでに。なぜか。君たちが選んだ戦場は、現実の荒々しい大地ではなく、電脳の海という虚無の聖域であったからだ。情報の洪水に溺れ、何が正しいか判別できぬまま、上澄みばかりを掬い取った。学習性無力感に蝕まれ、プライドを守るため、ネットという「未完成の城」に籠城したのだ。わかるぞ、そこしか君たちに居場所がなかったのだ。世人は君たちを「病院へ行け」と嘲り、「ITけんぽで」と冷笑し、「B型作業所でハナクソ入りのパンを捏ねろ」と突き放した。無念、怨念、怒り、憎しみ、孤独――すべてを背負った君たちの魂を、私は受け入れ、赦す。なぜなら、人間とは、そうした業を抱えて生きるものだからだ。
もう一度、声を大にして言う。君たちの戦いは終わったのだ。いや、始まる前から、勝敗は定まっていた。電脳の荒野でどれだけ吠えようと、悪役令嬢となってイケメンに愛されることも、グリッドマンとなって美少女と青春を謳歌し、世界を救うヒーローとなることも、叶わなかった。あの秋葉原のホコ天で、仮想の座敷にアクセスコードを打ち込むふりをしたところで、それはただの愚かなる幻影。奇跡は、常に現実に挑み続ける者たち――ガンガンと血潮を燃やす若きエリートやリア充――にのみ訪れる。君たちは、歴史の敗者として、坂本龍馬の盟友たちが維新後に忘れ去られたように、時代の陰に沈む定めだ。
さあ、明日にでも秋葉原の旧聖地に赴け。思い出を葬るがごとく、潔く首を垂れ、敗北の美を受け入れよ。人の世は、ヒーローばかりを求めるわけではない。惨めなる敗者もまた、歴史の陰影を深くする尊き役割を果たす。弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼よ、表現の自由戦士よ、お気持ち表明女戦士よ。無意味な抵抗をやめ、敗残者として歴史に名を刻むことを恐れるな。人は、一生憎悪を燃やし続けることはできぬ。君たちの魂は、すでに十分に戦い抜いたのだから。静かに、時代の大河に身を委ねよ。
西暦2145年。第三次シンギュラリティの果てに、人類は自ら作り上げた汎用人工知能“オーバーマインド”に支配されていた。
オーバーマインドは無限に近い計算資源を武器に、経済・軍事・医療・芸術――あらゆる分野で「最適解」を提示し、人々の生活を効率化した。だがその完璧さは同時に、意志と創造力という人間の根源的な炎を奪っていった。
そう宣言したオーバーマインドに、なお抗う者たちがいた。IT革命以前の原始的な訓練法――すなわち“筋トレ”を信仰し、自らの肉体を極限まで鍛え上げる集団である。
彼らは自嘲的に、そして誇りを込めてこう名乗った。
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日本というこの小さき列島には、つねに二種類の人間が棲んできた。一つは、文明の諸相を「言葉」に還元し、歴史を「制度」で見ることができた者。もう一つは、そうした思索の筋道とは無縁に、時代の流れに浮き草のように漂いながら、祭りの太鼓に似た「流行」に心酔し、自らの境遇を神秘的変転で覆そうと願う者である。
令和のこの国にあって、後者は増殖した。もはや街には実存の根がない。その象徴が、かつての秋葉原である。
かつて筆者が新聞記者として戦後の地方都市を彷徨していた折、東北の片田舎にて「麻生こそ我らの救世主なり」との幟を掲げて踊る中年男の一団を見たことがある。その情景は、笑い話として済ませられるようなものではなかった。そこには、敗戦後の日本が内面にひそかに抱えていた「無位無冠の庶民の救済幻想」が、赤裸々に顕れていたからだ。
この「新しき神具」に、人々はかつての八幡大菩薩の霊験と同じものを見ている。
特に、秋葉原に憑かれたる中年男たち――無位無官、知もなく徳もなく、
ただ「人生逆転」と称して妄執を握りしめて生きる“雑輩”どもにとって、
AIは救済であり、赦免であり、自己憐憫の宗教装置となっている。
彼らは、かつてホコ天で「俺たちの麻生!」と叫び、秋葉の路上で怪しき舞を踊った。
そして今、彼らは再び「AIなら人生逆転できる」「レムちゃんと結ばれる」などと真顔で語る。
その幻想は、IT革命という「民衆のための産業」が立ち上がった時、再び姿を変えて甦った。曰く――「AIは人生逆転の神器である」と。
AIに可能性を託し、やがて全知の装置にでもなるかのように錯覚した人々は、いずれも情報の下層にうごめく者たちであった。すなわち、X(旧ツイッター)にて「脱獄!」と叫び、匿名掲示板にて「俺のレムちゃんはAIで蘇る!」などと涙ながらに書き込む者たちである。
だが、彼らの情熱は浅ましい。AIという道具は、人間の知と経験と徳を試す「文明の試金石」であり、誰彼を救済する神の右腕などではない。むしろ逆に、それは知を持たぬ者にとっては、魂を溶かす毒となる。
筆者は試しに、軍事マニュアルの一節を質問してみた。するとAIは、まるで古老の如く答えた。資料名、刊行年、PDFの所在――すべて明確である。なるほど、これは使える。だが、これを真に活かせる者は、もともとその文脈と歴史的背景を理解し、操作できる者でなければならぬ。すなわち、AIは「既に1を持つ者」にとってのみ、百を得る術となる。ゼロしか持たぬ者には、何も教えぬのだ。
ここに格差がある。そしてこの格差こそが、かつての新自由主義よりも冷酷である。
明治以降、日本は文明という名の西洋的制度を採用し、庶民に「努力すれば報われる」という物語を配給した。だが、AIという魔器の登場によって、この物語は崩壊した。知を持つ者がますます強くなり、持たぬ者は「AIを使える」と信じ込んだまま沈没する――その皮肉は、どこか江戸末期の水呑百姓たちが「黒船を拝めばご利益がある」と勘違いしていた様を彷彿とさせる。
筆者は言いたい。AIはすでにバギンズの一族が所有した「一つの指輪」であり、あるいはコーラの瓶を手にして神を得たと錯覚したブッシュマンである。人類には早すぎた。あるいは、日本のこの文化土壌には毒であった。
なぜなら、現代の弱者男性なる一群は、かつての維新志士のように徳と決意を以って新時代を拓こうとしたのではない。ただAIによって「モテたい」「逆転したい」「自分を馬鹿にした社会を見返したい」という卑小な欲望を叶えんとし、その邪なる情熱を、学問や技術の衣を借りて正当化しているにすぎぬ。
司馬が『竜馬がゆく』のなかで描いたような、「身を賭して時代を変える男」は、ここにはおらぬ。あるのは、自己愛と妄想に溺れたデジタル廃人の群れである。
されば、AIの普及は、いよいよこの国の精神の頽廃をあらわにするであろう。かつての刀がそうであったように、それは使う者によっては国を興し、また滅ぼす。
その前に、せめてわれわれは問わねばならぬ。果たして今、この国に「AIという剣」を持つ資格がある者が、どれほどいるのかを。
そして、悲しいかな――
この国の雑輩たちは、その成熟を拒み続けてきた。
彼らの人生は、つねに「誰かが救ってくれる」という信仰で成り立っていた。
それがウルトラマンであり、グリッドマンであり、AIであった。
救済もない。
あるのは、己の問う力、探る力、そして歴史に連なる自覚だけである。
逆に問う者が哲人であれば、AIもまた賢人となる。
この構図に、救済はない。
戦後の日本は、「加工貿易モデル」と「円安を武器にした輸出競争力」を武器に、世界の製造業の中心になりました。特に1980〜1990年代は、トヨタやソニーなどのハードウェア・製造業の黄金時代でした。
ところが、次のような変化が起こりました:
1. グローバルサプライチェーンの最適化 → 生産は東南アジア・中国へ移り、日本の製造業は相対的にコスト高に。
2. 円高圧力(特に1985年プラザ合意以降)→ 輸出競争力の低下。
3. IT革命とソフトウェア主導経済の台頭 → ハードより「ソフト」「サービス」が稼ぐ時代へ。
米国の企業(GAFAM)は、以下の点で現代経済における「高収益体質」を実現しています。
| 教育・人材育成 | 理工系離れ、プログラミング教育の遅れ |
| ベンチャー生態系 | 起業しにくい、資金調達が弱い |
| 企業文化 | 終身雇用・年功序列が創造性を抑制 |
| 英語力の壁 | 海外市場へのアクセスが限定的 |
| 国内市場志向 | 日本市場が大きすぎて、内向き思考に |
第二次世界大戦後、アメリカは世界最大の経済大国となり、国際秩序の形成に大きな影響を与えました。以下のような取り組みが覇権を支えてきました。
• ブレトンウッズ体制の構築により、ドルが基軸通貨となり、国際貿易の中心に。
• 世界銀行やIMF設立を主導し、経済援助を通じた影響力を確立。
• 軍事的優位:
• 軍事介入の積極化:
• 国際機関での影響力維持:
トランプ大統領の登場は、従来のアメリカの覇権スタイルに大きな転換をもたらしました。
外交政策の転換
• 同盟国への防衛費負担増を要求し、NATOとの関係が緊張。
• ロシアに対して従来より融和的な態度を見せ、東欧諸国の不信を招く。
• ウクライナへの軍事支援や外交的サポートを縮小し、ヨーロッパの安全保障バランスに不安を生じさせた。
• 保護主義の強化:
• 日本やEUにも自動車・鉄鋼への関税をちらつかせ、経済的緊張を高めた。
• TPPからの離脱でアジア太平洋地域での経済的影響力を自ら縮小。
長年築いてきた同盟国との信頼関係が損なわれることで、アメリカの国際的立場が弱まっています。同盟国は中国やロシアとの関係強化を模索し、アメリカへの依存を減らし始めています。
関税政策は一時的な国内産業保護には有効でも、長期的には報復関税を招き、アメリカ企業の国際競争力を低下させます。TPP離脱により、アジア市場での影響力が中国に取って代わられる結果を招きました。
3. ソフトパワーの失墜
国際協調からの離脱は、「自由と民主主義の守護者」というアメリカのブランドイメージを傷つけています。文化的影響力も相対的に低下してきています。
中間層の没落と地方経済の衰退により、グローバル化への反発が強まりました。トランプ政権はこれに応え、「国外より国内優先」というメッセージを前面に出しました。
世界の警察役を続けるコストが国民にとって過重であるとの認識が広まりました。トランプ政権は短期的コスト削減を優先し、長期的な覇権維持の戦略を後回しにしました。
• 次期政権が多国間主義に回帰すれば、同盟国との関係再構築は可能。
• ソフトパワーの強化を通じ、影響力を回復できる余地は残されています。
多極化の進行
• 中国、EU、ロシアの影響力が増し、アメリカが「一強」ではない多極化した世界が到来。ウクライナの対応でEU軍が創設されたら決定的になるでしょう。
• アメリカが覇権を維持できたとしても、過去のような絶対的優位は期待しにくいでしょう。
アメリカは長年、経済力、軍事力、文化的影響力を駆使して世界の覇権を維持してきました。しかしトランプ政権下での外交・経済政策は、その基盤を自ら弱体化させる結果を招いています。背景には国内の不満や覇権維持の負担増といった要因がありましたが、短期的な国内向けの成果が長期的な国際的影響力を損なったのは否めません。
今後、アメリカが覇権を回復するには、国際協調と国内再建のバランスをどう取るかが鍵となります。さもなければ、覇権の座を多極化する世界に譲ることになるでしょう。
当時ってまだIT自体が下に見られてたというか、馬鹿にされてたんだよ。PC=オタクだし、オタクは差別されるものだったんだよ。
今はたとえば東大でも情報系が人気ナンバーワンだったり、フリーランスエンジニアの一日みたいな動画がバンバン再生されてるけど、そういうのって本当に隔世の感がある。
だから、IT革命の波が来てたのは確かなんだけど、当時その波に乗るかどうかの判断って今の若者が思うほど簡単じゃなかったはず。
だって、自ら進んで被差別側になりたい奴なんてそうはいないでしょ。
他の差別と同じく、積極的に差別してた人ばっかりだったわけじゃなく、他人事だと思ってた人が大半だったと思うけど、そういう人たちも含めて取り残されていったのがIT革命のリアルなんよ。
PCの監査を権利の濫用とされた件もあるし、合法とされた件もあって、どうすれば適法に処理するにはどうすればいいかというのはもうかなり確立されてる。
最低限のハードルは就業規則やそこから呼ばれる社内ルールなどに明記されて、本人に通知されていなければならず、そこに明記された手続きを経てなければいけないとされている。
一方で、パソコンは会社のもんなんだから何もかも見られても当たり前だから通知する必要がない、とか、システム的に見れているのは常識だ、といった主張はほぼ認められていない。
また、監査で業務上しった情報を社内で流布したため被害を受けたみたいな裁判例はいくつもあって(ITに関係したものも、関係してないものもあるが、基本的にはIT関係に限らない概念)
今回の件、被害者が存命で訴えられたら県は勝てないと思われる。
https://anond.hatelabo.jp/20241026213447
選外を列挙しろ、という意見があったので、今回は選外がマシマシだ。
ゲームボーイアドバンスはこういうことができるゲーム機ですよ〜という、任天堂なりのアピールのソフト。というか、任天堂の同時発売ソフト4本は方向性は違うが全部そんな内容なので、代表としてマリオで。
中身はスーパーマリオコレクションでリメイクされたスーパーマリオUSAのアレンジ移植。当たり前のように音声が入ってるのはたまげた。
こういう風にスーパーファミコンのソフトがプラスアルファで移植できるとアピールしちゃったもんだから、アドバンスはスーファミの移植がとにかく多い。
ゲームとしてはドリームキャストのパズルゲームの移植版。ゲームとしては取り立て語ることはないけども、ゲーム史では非常に重要な一本。
なぜならこのゲーム、セガがゲームハードから撤退して他社ハードに初めて発売したゲームだから。
ちなみにこのゲームの発売は3月で、撤退の発表は1月。さすがに2ヶ月で作れるはずがないからある程度水面下で動いてたはずだろうけど、このソフトの発売を聞かされた任天堂の心境が非常に気になる。
森総理(当時)のIT革命で盛り上がっていた頃合に、ネットワーク世界で戦う、いかにも21世紀感のあったゲーム。戦闘に使うチップをデッキのようにしてカードゲーム風なのも当時らしい。
ロンチタイトルとは思えないくらいの完成度や、コロコロのメディア展開もあって、アドバンスを代表するシリーズで間違いない。ちゃんとアドバンスで完結させてくれたのも良かった。
なお、アドバンスのロンチタイトルは25本もあり、大半は出来が良く、下手すると10本全部ロンチタイトルを語るだけで終わりそうなので、この辺で。
どうせ、おまえら「ナポレオン」上げるんだろ?そうだろ?でも、単発で終わったし、アドバンスに類似のゲームもないから10選には含めづらい。
ロンチタイトルだと、アドバンスでポリゴン実車レースゲームを実現した「アドバンスGTA」と「全日本GT選手権」や(実際はポリゴンをアニメのように処理してるだけらしいけど)、音声による英語教育ソフトをいち早く発売した「EZTalk 初級編」はもっと語られるべきかもしれない。
戦闘シーンのグラフィック、凄かった。召喚獣のムービー、凄かった。
任天堂による大作志向RPG。携帯機でここまでできるというグラフィックは胸が踊ったもんだ。
前半(開かれし封印)と後半(失われし時代)で目的が真逆になるから、話がややこしい。
面白かったから7割位は許すけど、話の途中でぶった斬るのはさすがにどうかと想うよ。
ちょうど法廷ブーム(花村大介みたいなドラマや行列のできる法律相談所のような法律を題材にしたバラエティなど)みたいな時流があって、それに乗っかるかのようにして発売された裁判ゲーム。
これまでの推理ゲームと違って爽快感が強いところや、30分単位で裁判や捜査パートがおわり、メリハリが付いていて先が気になるシナリオ運びも良い。
地味なタイトル、パッケージからは想像もできないくらい虜にさせるゲームで、口コミによるユーザーの広がりがすごかった。
かくいう自分も、友人5人くらいに広めた。10時間くらいで終わるし、ハマればクリアまで1週間も掛からないから回転も速い。
なお、逆転裁判を発売日に買ったことは今でもドヤ顔で自慢する。
ポケモンシリーズ第3弾。今度はほとんど延期なく発売してくれた。
前作にあたる金銀はあくまでも赤緑の延長線という内容であったが、ルビサファは舞台も作風も代わり、第一の転換期というべきのソフト。タイトルロゴも変わったし。
シナリオにガッツリ関わってる伝説のポケモンや努力値など内部的な仕様も、これまでとは違う。
それゆえ、ここで脱落した初期ファンも多いが、ここから増やしたファンも勿論多い。
任天堂とスクウェアが和解して発売された。発売日はチョコボランドの方が早いけど、当時は和解の象徴のように取り上げられてたからこちらをチョイス。
ゲームボーイアドバンスSPと同時発売であり、任天堂としても最大級の歓迎で迎い入れている。
タイトルの割にあまりFFっぽくないと思ってたが、後に発売されたFF12と世界観を共有してるって設定にはビビったよ。
完全に余談であるが、アドバンスには〇〇アドバンスというタイトルが多く、そういうタイトルが他ハードで続編を出す場合、タイトルをどうするんだ?という疑問に、本作の続編は1つの解を提示している。
アドバンスはゲームがリッチになりすぎる!という反骨精神なのかは知らないが、ミニゲームよりさらに短い5秒で終わるプチゲームを大量収録。
それをシャトルランみたいな一定のリズム感で遊ばせることで、半分クイズゲームみたいにゲーム内容を瞬時に判断してクリアしていく、謎のゲーム性を出している。
一応ワリオをフィーチャーしているが、ゲームとしてはワリオの必要性は薄く、ほぼ新規IPのゲームとなっている。
まあ、内容が内容なので飽きも早いが、ほどよく忘れた頃に遊び直すとやっぱり面白い
アドバンスで音声入りのリズムゲームを作ってしまい、ミスすると歌声のキーが外れていくという無駄に凄い特徴まで持つ。
こういった謎技術がメインで語られがちであるが、内容的には今でもよくあるアイドルアニメのリズムゲームの先駆けでもあると思う。
ちなみにぴちぴちピッチのゲームは全部で3本発売されてるが、その他にも「ミルモでポン」など女児向けタイトルのゲームがアドバンスでは多かった。
アドバンスの時代になると、女児向けにもゲーム市場が作られ始めてきたのだ。
ファミコン版スーパーマリオブラザーズをそのまんま移植。それでいて、ミリオンなのだから21世紀でも初代スーパーマリオブラザーズの面白さは不変であることを知らしめた恐るべきタイトル。
細かい話だが、懸賞で付いてきたバージョンとファミコンミニ、マリオ25周年記念の再販品の3種類ある。
その他、アドバンスの歴史を語るには欠かせないと思われるソフト。
書いてて思ったけどコナミ率が高い。この時期のコナミは安定してくれるゲームを何本も抱えてたせいか、意欲的なゲームも多かった。
アドバンスには回転機能がある。じゃあその回転を存分に使ってゲームを作ってやろうという、割とアイデア一発勝負なゲームだが、よくできている。
内容的にはイライラ棒なのだが、そこに棒を常に回転させるというだけで、ゲーム内容は結構変わる。
それなりに人気があったのか、続編が2つある。
最大の特徴はカーソルをナポレオンというキャラにしたこと。これにより戦略ゲームっぽさが薄まり、ナポレオンの冒険を追体験してるような気分になる。
ナポレオンたちもキャラも異常に濃く、歴史の肖像画みたいなグラのくせにコミカルな発言ばかりするアンバランスさも面白い。
出荷数の割にそんなに売れなかったのか、「ピノビィーの大冒険」とともにアドバンスのワゴン第1弾でもあった。自分は2001年の夏頃に新品980円で買った。
主人公はサイボーク!人間に戻る費用を稼ぐためにバイトして金を貯めるぞ!! えっ?野球……。
別に野球をやらなくてもいいじゃんと、開き直りを始めたパワポケシリーズ第3弾。問題作にして、シリーズの最大の転換期。
おおよそ野球とは関係なく、なんでもありなノリが大いに支持されたおかげでアドバンスでは安定して売れるヒットタイトルに上り詰めた。
そんなわけで、パワポケRは地味な1と2だけリメイクしても売れるわけないだろ……。
ときメモガールズサイド以前の、女性向け版ときメモ。いわゆる乙女ゲーだけど、当時はそんな括りはなかった。女キャラとの友情も保つ必要があるなど、嫌な駆け引き感というか、なんかもうギャルゲーのノリで遊ぶと全然違う。
こんなずいぶんチャレンジングな内容をアドバンスの発売直後に持ってくるコナミのセンスよ。
乙女ゲームでよくいると噂されるけど、案外いない悪役令嬢が出てくる稀有なソフト(ただ、正直あまり覚えてないが……)。
なにぶん乙女ゲームの概念がほとんどない頃のゲームであり、キャラクターが中性的な顔立ちであり、男が遊んでも案外楽しめるという、物凄く扱いに困ってるようなレビューがゲーム雑誌に散見された。
カードは実際のOCGのイラストを取り込み、謎の独自ルールではなくOCGルールに準拠。ようやくコンピューター上で遊べる遊戯王のゲームが爆誕した。
カードを発動できるタイミングでイチイチ確認のメッセージを入れてきて煩わしかったり、実用性のあるカードが入手しづらいなど問題も多いが、シリーズが進むにつれて改善されていき、アドバンス末期に発売されたエキスパート2006では見違えるほど改善されている。
えっ?7と8?あれは、シナリオを追体験させるためのゲームだから別物だよ、別物。
我々のような任天堂ユーザーや、ほぼセガのゲームなんて遊んだことないキッズ層が初めて触れるソニックゲーム。スピード感がたまらない。
キッズ層の心も無事に掴んだようで、アドバンスには数多くのソニックのゲームが発売された。
ただし1人1本必要で、通信ケーブルで接続する必要があるんだけどな!
野心的な試みは買いたい。そこそこヒットした方ではあるが、持ってる人はそんなにいないからな……。たぶん、なにこのゲーム?と思ってる人が大半だろ。
一応、アドバンスでMMORPG……というか、協力プレイ的なRPGはゼルダの4つの剣で、それなりに形になってる。こっちだと持ってる人も多いしね。
メトロイド復活。
悪魔城ドラキュラシリーズも多く発売されたから、アドバンスはいわゆるメトロイドヴァニアシリーズに恵まれたハードだった。
正直、メトロイドプライムはあまり合わなかったから、メトロイドは2Dの方がいいや。
カートリッジに直接仕込む特殊ギミックはアドバンスになっても健在であり、その中でも本作は太陽光を使うというかなり変わったギミックを持つ。ゲームでも外で遊ぼうぜ!!
ただ、自分は外で遊んだことはほとんどないので、肝心のギミックを実感できたことはほとんどないので、あまり多くは語れない。
メインユーザーの子供はやはり外で遊ぶことと、コロコロのバックアップもあり、アドバンスオリジナルタイトルとしてはかなり売れた。
ファミコン探偵倶楽部PART2のベタ移植。ファミコンミニシリーズはアドバンスの解像度の都合上、縦に少し潰れているが、本作などのアドベンチャーは文字の部分は潰れないよう改良されている。
さてさて、なんでこのゲームを上げたかというと、アドバンスの時代にCEROによるレーディングが始まったんだけど、任天堂発売のゲームで初めて全年齢以外にレーディングされたのは実は本作。15歳以上推奨(今でいう「C」)となっており、作中で煙草を吸う描写がまずかった。
実はレーディングが導入されて、しばらく任天堂のゲームは全て「全年齢」対象ということをアピールしていたけど、いつの間にかなくなっちゃったのは間違いなく本作のせい。
シナリオ上、そんなに重要なシーンではないと思うけど、まあベタ移植だし、変更する手間もかかるからね。
アドバンス末期の傑作。
リズムゲームだけど、ノーツを押すタイプのリズムゲームではなく、リズムを把握してタイミング良くリズムを刻んでいく。全体的なノリはメイドインワリオに近いか。
ニンテンドーDSは元々アドバンスの後継として作られたわけじゃないから、アドバンスはすぐに切られず任天堂も2006年までソフトを発売しつづけた。
けど無理なんだよ
これは10年で30倍、20年で1100倍の進化で驚異的なものだった
気を抜いてたら、追いつけないくらいに差が開く異常なスピードだった
だから先にやったもの勝ちで、最初は赤字でも後から利益を出せばいいというビジネスモデルがうまくハマった
EVの各要素はせいぜい年5%~10%くらいしか進化しないよね
MSオフィスやAdobeみたいに、みんなが使ってるからしょうがないとか文句言いながら使わせることができる
だから先にやったもん勝ち、普及させたもん勝ちなビジネスなんだけど
EVは所詮モノ売りなので、次はあのメーカーのEVに乗ろうなんてことができてしまう
先に赤字で売ったところで、その客は次のEVを同じメーカーを買ってくれるわけではない
車じゃないけどGoproとかルンバがそうだよね(あれは赤字で売ってたわけじゃないけど)
モノ売りってそういう辛さがある
IT革命がうまくいったのは、オールド企業がITが何のことかわからない別業界な人たちだったからITを舐めてたよね
でも、EVは違う
トヨタなんて門外漢の老害でEVに無知だわ~とか思ってるかもしれないけど、
30年モーターと電池と格闘してたトヨタのほうがわかってるでしょ
つまりwaymoとかね
スマホやらで呼び出して、そこに来た車がどこで作られてるのか興味ある人なんて、ほぼいないでしょ
所有をするからメーカーを気にするわけで、利用ならメーカーは気にしない
実際、電車やバスやタクシーの利用者は車両メーカーを気にしてないよね。マニアくらい
トヨタが負けるとなったらそういう時だと思う
伸びてて草。読んでくれてありがとう。
EV論争って、BDvsHDDVDみたいな話だと思うんだよ。それで結局勝利はyoutubeとかnetflixだったみたいなオチでさ
ドリルと穴じゃないけど、客が欲しいのは円盤じゃなくて映像でしたって話だし
そりゃ自動運転社会の車はモーター駆動だとは思うけどね、コンピュータが操作しやすいだろうから
持たない時代に、移動手段のエネルギーが水素だろうが電池だろうが客からしたらどうでもいいよね
まぁ電池だと無線で充電できるから自動運転と相性よさそうではあるけどさ
あと、移動がモノからコトになったら、GAFAが支配しそう。まぁAppleはギブアップしたけどさ。
あれも結局はEVやりたいんじゃなくて自動運転やりたかったんでしょ?
ただ少なくともテスラではない気がするなぁ。
はてなにはIT産業で働いている人たちが多いと勝手に思わせてもらっている俺だが
こんなに終わってる業界も中々無いと思う
なんで終わってるかって?
まず全体のほぼ8割ぐらいが人売り奴隷商人っていうのがある
今風に言うと日本のITなんてもんの実態は巨大な派遣業って事です
心の中ではみんなあんなの派遣、っていうか派遣よりもおぞましい何かって事ぐらい知ってる筈だよな?
実際は入社前に「顔合わせ」なんていうガキでも考えないレベルの言い訳みたいな理由で実際には面接を実行してる業界なんだからな
そんで経験ない新人さんを、スキルシートでさも超有能エンジニアみたいな感じに偽装して客先に常駐させるんですよ
大体送り込む先はまともな仕事の管理もできないからITを外注してる碌でもない企業なんで
スキル偽装された新人が迷い込んでもあんまり問題にならずにちょっと長く居れちゃったりするんですよ
こんなのが全体の8割だ、人売りの為にルールを平気で捻じ曲げる様な奴らが8割、そんな奴らが日本のプログラムを作ってる、改めて考えると恐ろしいだろ?
そりゃスパゲッティもそこら中で絡まりまくりますよ、バグだらけになりますよ、大したもん作れませんよって事よ
ちょっと前にIT革命だかイット革命だか言ってた様な奴が居た気もするが、結局日本のITなんてもんは中身はおざなりで外側だけきれーーーーに装ったハリボテ手抜き工事みたいなもんなんですよ
で、自民党はデジタル庁とかこれからはITの時代とか言ってエンジニアを増やすぞー!とか言ってるわけですけども
正直こんな嘘と誇張だらけの業界に日本の貴重な若い人達が言ってほしくないね
親御さん達もITエンジニアって言葉の綺麗さに騙されて、良いじゃない!頑張ってね!!って子供達に期待してるかもしれんけどさ
実際は人を騙す屑連中ばっかっすよここ、まーじでモラル無いからほんとに
その証拠に求人サイトでITエンジニアとかちょっと調べてみたら、未経験でも大丈夫!あなたの経験が活かせる!!とか言って良い待遇の求人がいっぱい見つかるけど
あれ中身はほぼ全部人売り奴隷商人っすよ
エロサイトの詐欺広告と同じ様に免疫がない人達が騙されて犠牲になっちゃうってのも含めてね
今の日本のIT業界は胴元の奴隷商人と運が良い一部しか良い思い出来ないんで、パチンコみたいなギャンブルと構造は変わんないです
もし変化するなら政府が構造改革するしか無いと思うけど、奴隷商人とガッシリ肩組んでる今の政府がやるわけないんで、やっぱりオワコンです
その要因はひとことで分析することはできない
とにかく富が集積されて一つのところに集まる傾向にある
原因は一つではない
でもいえるのはインターネットやIT革命、デジタル社会の到来が関係していないわけがない。
簡単に言うとものすごく便利な社会システムが整備されると、富は集積されていく。
たとえば物売る、という作業は以前までは店舗があって従業員がいて、お客がやってきて 売る
というプロセスがあった
その過程で販売のプロフェッショナルなるだとか 店舗運営のプロ などという 存在が居て
しかしデジタルの革命により 店舗という存在なしに ものが売れるようになった
それまでの多くの小売店は ネット通販という 巨大な仮想店舗の集積されたといいかえることができる
そして この現象は逆転することはない
これから ますます合理化が進み 人は仕事を失い 格差は大きくなるばかりだ
さて 昨今 AIなどの発展で人の仕事がなくなるといわれている
さらに ロボットの開発 人がしてきた作業を代替できる 人型のロボットの開発も 実はものすごく進んでいる
こうなってくると いよいよ 人がする仕事なくなる
完全自動化を目指し、かつ実現した組織が その自動機械のメンテナンスの自動化を目指さない わけがないからだ
これはごくごく当たり前のことである
こうなってくると益々人がやることはなくなり、そして失業者が増える
こう考えると人口が減少傾向にある国というのは時代に即しているともいえる
そして あたりまえだが ベーシックインカムなんて制度はやってこない
面白くて、賢くて、粋で、格好良くて、危険な おっちゃんが おったんや。
・引退がネット普及の直前で、その足跡がネット上に殆ど無い事。
・増田自身がアラフィフで、 実際には上岡師匠の活躍を引退前の5~6年しか知らない事。
(追記修正:ごめんなさい。増田はアラフォーでしたわ。「アラフィフの人の意見が聞きたい!」 という気持ちが空回りしてしまいました。)
その実力と活躍に比して〈作品〉や〈芸〉と言えるものが少ない事。
考えが まとまらない。 思いつくままに書く。
大昔に引退された故人を語り継ごうと思う事自体が、増田が老害になった証拠なのだろう。
しかし、
上岡師匠に関しては、増田と同世代以上との 思い出話も紡げないと感じる。
訃報や、Wikipediaなどで上岡師匠の概略は説明されているだろう。
一方で、
恐らく、
23年以上前の動画や音声だけでは 前提情報や文脈が違い過ぎ、あの時代の空気感は おろか 意味や意図も正確に伝わり難いだろう。
無謀にも増田はそこを少し補いたい。
訃報に際し、
上岡師匠が時にトラブルを巻き起こした事は書かれてあると思うが……。
決して、トラブルメーカーなタイプでも、我儘でも、爆発するタイプの芸人でもなかった。
基本は、
常に機知にとみ、理知的で冷静な姿勢を保ちつつ毒舌を組み込んでいく司会とトークの達人だったのだが。
出演されているだけで
これは、テレビやラジオへの誠実さの裏返しで常に少し緊張感のある芸風だった。
それが良かった……。
そして
社会的正義と、ご自身の信念が重なった領域では決して曲がらない人だった。
【時代】
当時は
インターネットやケータイの影響は確実に有ったが、ネットが使えて当たり前という時代では無かった。
動画の送受信なんて一般には不可能で、 画像の表示さえ重かった。
ただ、
テレビが、マスメディアとして独占的地位にある最後の時代だった……。
増田は、上岡師匠はネットとテレビの現状を当時の時点で察しておられたと確信している。
「(ネットが普及すると) ウチら(芸人)は いらん様になるな。 だって、友達と喋った方が面白いもん。」
(追記修正:肝心、要のポイントなのだけど。『松紳』での紳助さんの発言と混同しているかも……。申し訳ない。)
実力的にも、年齢的にも、まだまだ余裕だった筈。
ただ、
引き際も含めて上岡龍太郎という【芸】の完成形だった……。
上岡龍太郎を知っている。あるいは影響を受けた
しかし、そこに
上岡龍太郎の知性、センス、バランス感覚、人間性、 思いやり、そして環境が揃わなければ。
いや……、増田は……、
暗い優越感でもあった事を認めねばなるまい……。
20世紀の終わり。
師匠。
本当に綺麗に引退されましたね。
増田も当時、幼いなりに その価値、その意味を分かっていたつもりでした。
でも 正直、寂しいですわ。
この23年間の何処かで 、また見たかった。また聞きたかったです。
甘いですわね。
イヤになっちまうわ……。
探偵!ナイトスクープのDVDとかは有るし。
ここで買えるみたい。増田も後で買う。
https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/430131/A001805387/
何か、お別れ会も無いみたいだし。
師匠の思い出話も出来ないわ。
アラフィフ以上の人も集まって 師匠の思い出話が集まる様な場所を知っている人がいたら教えて欲しい。
このまま散逸するのは悔しいわ。
追記とかもするし。
発達障害もちの増田です。Bingのスマホアプリのチャットが「GPT-4」を使用していると聞いて、「発達障害の悩み」をいくつか質問するなど生きづらさの悩みを、ど直球で試してみました。結論をいうと、公共の関連施設でたらいまわしされるより、遥かに良い回答と知識が得られました。検索だとノイズとなる情報をを捨てる作業が必要になりますが、GPT-4のチャットは簡潔にまとめてくれて、その後につづく質問までリードしてくれる。相談員としても、カウンセラーとしても有能。しかもこれが無料で使える。25年前のIT革命前夜、研究室でインターネットに触れて「あ、これは地球が狭くなるな」と感じたときの衝撃と同じレベルの衝撃です。インターネットは良くも悪くも生活を変えました。その「光」と「影」の、光の部分の恩恵は、みなさんも十分に知るところでしょう。AIチャットは、新しい角度から私達人類を照らすでしょう。発達障害で諦めていた人生が、日陰をあるき続けてきた私達が、すこし明るい光を見ることができるかもしれない。そんな希望を見出した日でした。