仕事というものは、基本的に他者との意思疎通を前提として成り立っているはずだ。
しかし現実には、最も基本的な伝達すら機能しない環境が存在する。
そして不幸なことに、そうした環境の中心にはたいてい「説明しない上司」がいる。
最低限必要な要件でさえ、こちらが問いを立てなければ開示されない。
質問をすれば答えるが、逆に言えば、質問しなければ何も始まらない。
説明責任を自覚している様子はなく、「分からないなら聞けばいいじゃないか」というスタンスが徹底されている。
当然ながら、この手の人は質問に対する回答も極めて断片的だ。
前提条件の説明が抜けている、固有名詞の指す対象が不明瞭、業務フローの一部しか語られない、そのどれもが日常的に発生する。
そして、こちらが「なぜその情報が初手で出てこなかったのか」と問えば、「それは常識だと思っていた」と返ってくる。
常識の定義は個人差がある、という社会人としての最低限の認識もないらしい。
こうした対応が繰り返されるうちに、私はある仮説を立てるようになった。
この上司にはASD(自閉スペクトラム症)傾向があるのではないか、と。
ただ、対人コミュニケーションにおいて「相手の視点を想定する」という発想が極端に欠落している様子を日々目の当たりにすると、そういう可能性を視野に入れざるを得ない。
例えば、相手の理解度に応じて説明のレベルを調整することができない。
言葉の省略や抽象化が過剰で、相手が混乱していることに気づかない。
また、急な変更や例外的な対応に過敏に反応し、臨機応変な調整を極端に嫌う。
感情的に荒れることは少ないが、冷淡かつ機械的で、人間関係の機微にはまったく興味を示さない。
問題なのは、こうした人間がなぜか「ロジカルで落ち着いている」と評価されやすいことだ。
実際には、情報の交通整理ができていないだけでなく、相手に誤解させるリスクの高い話し方をしているにもかかわらず、「感情に流されず理知的に振る舞っている」と誤解されてしまう。むしろ非効率なのに。
そして、その非効率の尻拭いは部下が行う。
上司本人は、まるで自分が全体をコントロールしているかのような顔をしているが、実態は違う。
彼が話すべきだったことを、我々が代わりに補っているだけだ。
意思疎通が致命的に困難な人間に、なぜマネジメントを任せるのか。なぜ組織はそれを放置するのか。
能力のある個人が去っていき、情報を出さない人間だけが残る組織に未来はあるのだろうか。
いま私は、自分のタスクよりも「上司との会話設計」に神経を使っている。
新卒で入った会社で二番目の上司がこんな感じだったな。 そこでは珍しい国立大卒だったから、まんまロジカルで落ち着いてるって評価されてたけど 部下になった人間は入れ替わりが激...
こういう上司にはあったことないな パワハラめいたむかつく馬鹿ばっか
お前もいずれそうなる 震えて眠れ・・・
グースーピー😴
ワイの上司も説明しないマンやけど感情的でパワハラしまくりで落ち着いてるとは到底思えないタイプやで…😟