日本国憲法について調べているうちに「八月革命説」というのがあるのを知りました。
こんな学説があることを長年知らなかったのがお恥ずかしいところなのですが、「革命」と言う言葉を使っていることには若干違和感を感じるところがあります。
なぜなら、革命を起こした主体が日本列島住民ではなく、連合国が『日本の最終の政治形体は、ポツダム宣言のいうところにしたがい、日本国民の自由に表明される意志によって定めるべきこと』としたことが結果的に主権の移動をもたらしたからです。
全くそのようなことを思いもしてもいなかったのに、大日本帝国のポツダム宣言受諾により、臣民から主権者(国民)へ、棚ぼた式に権力を与えられるという、たぶん当時の日本列島住民には理解不能なことが起こったわけです。
「八月革命」当時の日本列島住民に一番近いのは、アメリカの南北戦争で、南軍の敗北により解放されて「アメリカ国民」になった南部の黒人奴隷でしょう。
要するに、大日本帝国憲法下の「大日本帝国臣民」というのは「天皇の奴隷」と言うべき立場であり、南部の黒人奴隷に近いような地位だったということです。
「帝国憲法改正案(日本国憲法案)」を新聞等のマスメディアで知った日本列島住民の世論は新憲法案を圧倒的に支持し、参政権を拡大した戦後の選挙を経た帝国議会で議決されたので、この時点で「革命」が成立したと言えるかもしれません。
現在の日本国憲法は、手続き的には「改正大日本帝国憲法」というべき「欽定憲法」だということを以前の記事で書き、そこで「八月革命説」にも少し触れています。
戦後の連合国占領下における1946年4月10日に行われた第22回衆議院選挙によって選出された議員による第90回帝国議会が事実上の「新憲法制定議会」となり、「大日本帝国憲法」を改正して「日本国憲法」が制定されました。
天皇の勅令により公布されているので「欽定憲法」なのですが、日本列島住民が「臣民」である「天皇主権」から「国民主権」へと「主権」が移動していることなど、内容が「改正」のレベルを超えてしまっているのが「革命説」の根拠です。
実際、「国民主権」や、現在右翼が攻撃している「9条」など、当時の「臣民」の脳みそからは絶対に出てこないであろう超進歩的で革命的な内容であり、敗戦でノックアウトされていなかったら決して当時の支配層が受け入れなかったでしょう。
旧支配層の有力者を公職追放したりして新憲法を制定させるなどの革命を実行したのは日本を占領していた連合国総司令部ですが、議会で新憲法を議決して受け入れることによって日本列島住民も革命に参加していたということになりそうです。
しかし、冷戦の激化により、旧大日本帝国支配層は、米国の意を受けた反共勢力の多くが追放解除されたことで直ちに反革命運動を開始し(逆コース)、新憲法擁護派(革命派)と長年にわたり抗争を続けることになりました。
日本国憲法を大日本帝国憲法に戻し、大日本帝国を復活させることは自分たち自身も国民から臣民(=奴隷)へ転落するというマゾヒスティックな考え方であり、頭がおかしいのではないかと思うのですが、右翼勢力はそうは思わないみたいです。
大日本帝国の復活は国連憲章敵国条項との関わりもあって、そんなことが実現したら国連加盟国全部を敵に回しかねない危険性のあることなのですが、右翼勢力はそのことを知らないのか、全然気にしてないようです。
新憲法否定派(改憲派)の主張の最大の根拠として占領期に連合国総司令部から押し付けられたもの(マッカーサー憲法・GHQ憲法)だというのがありますが、当時の日本列島住民(まだ臣民)が圧倒的に支持したことは無視しようとします。
日本国憲法の原案は1週間で作成されたということの意味がキリスト教(≒一神教)を知らないヤプーにはわからないでしょうけど、Godが一週間で天地を創造したという旧約聖書創世記から、「一週間」というのはGodの業であるという意味なのです。
本当に一週間とかでできるわけないでしょうから、「この原案の文章はGodから与えられた聖典なので、これに反するものは聖書の教えの通り絶滅するぞ」と言う意味で「一週間でできた」と言ったのです。
まあ、考えすぎなのかもしれませんが、ほぼ全員がキリスト教徒で、Godの命により邪教の徒をやっつけたと考えていたであろう連合国総司令部は、自分たちがGodの代理として日本列島に自由民主国家を創造することを使命としていたのでしょう。
敬虔なクリスチャンであり、同時にかなりご都合主義的でもあった連合国総司令部(実質米軍)の構成メンバーは冷戦が次第に激化してくると、反共主義者(≒反革命勢力)を利用するようになり、革命勢力(新憲法支持派)は圧迫され始めました。
朝鮮戦争中の1951年にサンフランシスコ講和条約で連合国の占領は終わったのですが、同日に調印された(旧)日米安全保障条約(+行政協定+密約)によって、ほぼ米国による自治領植民地の「米領ヤプーランド」にされてしまいました。
自分たちが「家畜人ヤプー」にされてしまったことに、大部分の日本列島人は全然気が付かなかったようで、私も、以前からこの国は何か変だと思いながらも、そういうことだからだとは、ごく最近まで全然知りませんでした。
この沼昭三著の「家畜人ヤプー」を故三島由紀夫氏は高く評価していたそうなのですが、誇り高き反革命派(大日本帝国派=マゾヒスト)であった三島氏は、たぶん「ヤプー身分」であることに耐えられなくなって切腹して果てたのでしょう。
(スピーカー(拡声器)を使ってないので、三島氏が何を言っているかほとんど聞き取れなかったそうです。たぶん自衛官たちはみんな黙って話を聞くと思っていたのでしょうけど、この時、現場にいた自衛官たちは「バカヤロー、民主主義の時代だぞ!」などと罵声を浴びせていたそうです)
革命派(新憲法派)は社会主義と親和的で、新憲法の理念を「国民皆保険制度」「国民皆年金制度」「生活保護制度」「所得再分配システム」などである程度実現することに成功しましたが、「米領ヤプーランド」からの脱却はできませんでした。
そもそも、1951年以降自分たちが「米領ヤプーランド」の「家畜人ヤプー」にされてしまっていることに気づいていなかったみたいなのですが、「アングロサクソン的植民地支配技術」の恐るべき進歩により、完全にまやかされていたようです。
朝鮮戦争休戦後に、左右社会党再合流に危機感を抱いたCIAの仲介により保守合同が行われて自由民主党が結党され、反革命勢力(大日本帝国派)の憲法改正も困難で、米領ヤプーランドからの脱却も不可能な55年体制が成立しました。
https://www.国際問題.com/usa-cia/#i-6
途中1960年に憲法違反であるはずの軍事同盟条項(第5条)を含む現在の「(新)日米安全保障条約(+地位協定+密約)」に改正されましたが、ピント外れの革命派(新憲法支持派)の「新安保反対運動」の挫折により、現在に至っています。
その後の高度経済成長による生活水準の向上から、全共闘運動などの小競り合いの終結後には、沖縄以外の日本列島内には「金持ち喧嘩せず」で「ヤプーの平和」を謳歌する「一億総中流社会」が成立してバブルが崩壊するまで続きました。
社会保障・福祉システムが一応完成した1980年頃には「最も成功した社会主義」の「一億総中流社会」になり、「八月革命」はほぼ完了したようにまやかされ、Godの代理人が支配する「米領ヤプーランド」であることは忘れられたようです。
戦後の新憲法擁護派(革命派)をマスメディアは革新と呼び、改憲志向の反革命派を保守(ほぼ自民党)と呼んでいましたが、革命派は社会主義的傾向があったので、ソビエト連邦崩壊などで大ダメージを受け、現在は反革命派が勝利しそうな状況です。
日本国憲法は天皇制を維持していますし、社会主義的な性格はあまりないのではと思いますが、新憲法否定派を否定することが革命派になるというややこしい論理なので、新憲法否定派を否定し続けたのが社会主義的な勢力だったということのようです。
自分が生まれるずっと前にできた(新)憲法を墨守することがなんで「革新」なのかよくわからなかったのですが、反・反革命=革命ですので、憲法墨守=革命になるというかなりわかりにくい関係なので、ほとんどのヤプーは意味が分からないでしょう。
ヤプー教の根本経典である日本国憲法は現在まで一字一句変更されていませんが、解釈変更と言う裏技でどんどん空文化されており、さらに字句の変更をおこなおうというGodを恐れぬ反革命改憲勢力が優勢になりつつあり、危険な状況になっています。
Godの代理人側(米国)も、強烈なダブルスタンダードのご都合主義者であり、代理人側内部の権力闘争もあり、自分たちに都合のいいように憲法解釈を変更させたりしているようなので、代理人のしもべであるヤプーは振り回されています。
現在の憲法を実体化しさえすれば「八月革命」は成立するのですが、長年の間にヤプー根性が染みついてしまい、ソ連崩壊・バブル崩壊のダブル崩壊以降、革命勢力はどんどん弱体化しており、「革命未だ成らず」の状態にあります。
というか、「革命派」の中心勢力であった社会党が実質的に消滅して後継政党の社会民主党の国会での議席が1議席と言う「最期の一兵」状態になっており、共産党も議席数を減らし続けて「革命派」は玉砕寸前の状態です。
最近、主に団塊ジュニア世代以後の若い世代による、何がなんだか訳が分からない泡沫政党が続々と誕生していますが、私も現役引退後に勉強するまで第二次世界大戦後の日本列島の歴史を知らなかったので、彼らはもっと知らないでしょう。
いったいどうなることやら・・・。
ありがとうございます