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筑北村で350年以上続いてきた老舗酒蔵を事業継承して生まれ変わった「
甍酒蔵の前身は、1665年から続いてきた筑北村の「山清酒造」。7年前に日本酒の販売を終え、民事再生の手続きが進められていた。金沢市で食関連の事業を手がける新興企業「オープンソース」側に仲介者を通じて打診があり、同社で経営企画を担当する佐藤圭祐さん(35)が社長として山清酒造の事業を引き継ぐことになった。
ゼロからの酒造りを模索していた佐藤さんが知り合ったのが、松本市内の実家の酒造店で30年にわたり経験を重ねた田中勝巳さん(59)。日本酒の消費の伸び悩みに加え、国産ワインなどよりも低価格で流通している現状に疑問を抱いていた。「日本酒文化を維持するには世界に打って出るしかない」。2人の思いが一致し、醸造責任者として二人三脚で計画を進めた。
より良い酒を造るための土地を探す中で、たどり着いたのが松川村だ。軟水がゆっくりと発酵を進めて米のうま味を存分に引き出すのに適していることや、県内有数の「酒米どころ」である同村の高品質の米が決め手となった。蔵が建つのは、有明山や燕岳の麓で、かつて村有地だった森林の跡地。脇には澄んだ芦間川が流れる。「日本の屋根」とも称される北アルプスと、江戸時代から残る山清酒造の建屋の象徴である瓦屋根から「甍」の名を冠した蔵名にした。
新たな蔵はすでに着工し、10月には醸造を始め、11月にも出荷にこぎ着ける予定だ。大きな特徴は、蔵周辺の田んぼで収穫された酒米と、近くを流れる水だけを使って酒を醸すことだ。田中さんは「この土地で取れた米の味わいを、この土地でしか手に入れられない水で最大限引き出す。そこに価値を生み出したい」と語る。蔵より標高が高い田んぼの米農家と契約して農薬が混ざらない環境も整え、ワインの飲み比べの例にならい、川の右岸と左岸の米で酒を造り分けようと考えている。
価格は、標準的な商品で720ミリ・リットル3000円程度を見込む。他社製品に比べ高価だが、稲の刈り取りから翌春まで状態の良い期間に使い切れる量だけを仕込み、少量ずつ醸造するなど、効率を度外視し妥協を許さない酒造りを徹底する。数万円単位のものや、輸出向けに30万円の商品開発も計画している。2人は今年2月、米・ニューヨークで現地のすし店や高級ホテルの関係者と意見交換した。佐藤さんは「日本酒の認知も広がっている。ぼんやりと市場は見えている感覚だ」と手応えを感じている。
将来的には、出来立てのお酒を楽しめるレストランと宿泊場所を兼ね備えたオーベルジュ棟や、松川村の自然を感じられる茶室などの整備も検討している。佐藤さんは「松川村の気候や土壌があっての我々。村の発展にもできる限り協力していきたい」と述べ、田中さんは「日本酒が素晴らしい飲み物だということを、日本の最小単位である『村』から発信できる蔵になりたい」と意気込む。