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県水産試験場の挑戦
県水産試験場(安曇野市)で約10年かけて開発した「信州サーモン」が新たな養殖品種として水産庁に承認され、26日で20年となった。有名レストランの食材に採用されるなど高い評価を受ける「海なし県」生まれの魚。その誕生や普及に関わった人たちを訪ねた。
病気に強い魚を養殖業者に
「稚魚は水産試験場でしか作れない。生産者の生活がかかっており、失敗は許されない」。信州サーモンの誕生に初期から携わり、名付け親の一人でもある同試験場研究員の降幡充さん(63)は、年間生産量が400トンを超えた現在も気を引き締める。
開発を始めた1994年当時、県内ではニジマスの養殖が盛んだったが、消費者の好みが変化し塩焼き用の小さな魚の需要が低下していた。追い打ちをかけるようにニジマスの病気が流行し、養殖業者からは「より病気に強い魚を」との声が届いた。そこで、同試験場は刺し身用の大型魚の開発に乗り出した。
降幡さんは、ニジマスの養殖業者に育て方や魚の病気の予防法などを指導していた。毎日丁寧に手をかけ育ててきた魚が大量に病気にかかり、廃棄せざるをえない養殖業者らの涙を何度も目の当たりにした。「病気になりにくく、安心して育てられる魚を」と決意を新たにした。
多種類の魚の掛け合わせを試す中、病原体を注射し、病気の発症率を探った。「この魚は病気にかかりやすいのでは」「見た目はどうか」。仲間と話し合いを重ねた。不安もあったが、性別を変更させたブラウントラウトと染色体を倍にしたニジマスを掛け合わせることに決めた。
信州サーモンの母親となる「染色体が2倍のニジマス」を作る技術は非常に難しく、安定して生産できるのは本県のみとされる。広い敷地での研究が可能で、全国にも出荷するほどニジマス養殖が盛んだったことや、染色体を2倍にするために卵に圧力をかける機械の使い方について研究員間の引き継ぎが円滑だった点などが要因とみられる。約10年間で22万粒の卵のうち成功して成魚に育ったのは0・02%、43匹のみ。降幡さんは「毎年何万匹も試して、やっと一匹残りましたという感じだ」と言う。
稚魚の生産が始まった後も困難は続いた。増産を目的に、安曇野の試験場から水がきれいで病気のリスクが低い木曽町の試験場に母親の魚を移動させると、水温の低さが原因で成長速度が鈍り採卵時期が約3か月遅れた。1月に大雪が降りしきる中、職員が採卵作業を行ったこともあった。
信州サーモンは、2種類それぞれの魚の病気にかかりにくい特徴を遺伝的に継承している。病気に強く味も良い魚となり、職員は自信を持っていたが、実績のない魚は受け入れられない。養殖業者に頼み込み、2004年にようやく10万匹の稚魚を受け渡した。
病気に強いという評判が広がり、約20年を経て40万匹にまで増えた。病気に悩む業者も格段に減った。「生産者を助けることができた。試験場の皆で力を合わせ、長い年月をかけて研究して良かった」と降幡さんは喜ぶ。
その後も、改良に向けた研究は続いている。成長効率を高めるため、性別変更をさせる薬液の濃度などを変えたり、稚魚を育てる地下水に含まれ病気の原因となる窒素ガスを減らしたりした。近年の物価高騰を乗り越えるため、少量の餌で効率よく成長させられる信州サーモンの開発を目指す。
「どうか元気に育っておくれ」。降幡さんら多くの職員の願いが込められた稚魚が今年も5月に養殖業者の手に渡される。
◇信州サーモンの誕生から現在まで
1994年 水産試験場が研究を開始
2004年 水産庁に承認され、養殖業者に稚魚を出荷
2005年 消費者への提供開始
2010年 養殖業者が信州サーモン振興協議会を発足
2014年 地域団体商標を取得。特許庁に地域ブランドとして認められる
2020年 コロナ禍で売り上げが激減
2022年 訪日外国人客の増加や海外産サーモン高騰により需要が回復
◇信州サーモンの特徴
ニジマスとブラウントラウトを掛け合わせて作られており、ニジマスと同じ育て方が可能。品種改良した魚が子孫を残すと生態系に影響するとの懸念もあることから、繁殖能力は持たせず、一代限りの品種だ。
育てた稚魚(約3グラム)を県内の養殖業者にのみ出荷するため、信州でしか生産されない。2~3年間育てて体長60センチ、重さ2キロ・グラムほどの成魚を販売する。