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ノーベル賞のパロディー版として創設された「イグ・ノーベル賞」は笑わせつつ深く考えさせる研究に贈られる“栄誉”で、宮下
スポーツ界で「お家芸」とされる競技の代表選手は大まじめで、しかし、きっと遊び心に固くふたをして勝負に挑んでいる。日本の体操男子チームは団体総合で1960年ローマ大会から五輪5連覇、62年プラハ大会から世界選手権5連覇を成し遂げ、「お家芸」の地位を確立した。当時の選手に言わせれば、「金メダル以外は『負け』。そんな価値観が生まれ、次世代に引き継がれた」らしい。
今秋のベルギー・アントワープ世界選手権は、日本が団体総合予選を1位で通過し、決勝に臨んだ。全6種目のうち第2種目のあん馬で落下のミスがあり、ライバルの中国と僅差の大接戦。2021年東京五輪、22年英・リバプール世界選手権でいずれも個人総合を制した橋本大輝選手(順天堂大)は「団体での世界一を味わったことがなく、勝ちたくて勝ちたくて仕方ありませんでした」と振り返る。16年リオデジャネイロ五輪を最後に、体操ニッポンは世界王座から遠ざかっていた。
過去のエピソードに耳を傾けると、やはり「お家芸」の重圧はすさまじい。
試合中に医務室に「監禁」された日本選手
舞台は1976年モントリオール五輪。競技方式は、まだ規定演技と自由演技の合計点で争うルールだった。大会の開幕直前に主力の笠松茂選手が虫垂炎で離脱しており、戦力ダウンを強いられた日本は規定を終えてソ連(当時)に次ぐ2位。五輪初出場の藤本俊選手は「負けたら日本に帰れないぞ」と青ざめていた。
追い詰められて迎えた自由演技、第1種目のゆかのフィニッシュで、藤本選手の右膝に激痛が走る。「膝から下の感覚がなくなっちゃった」。続くあん馬は何とか乗り切ったものの、つり輪の着地で「すごい音がした」。後の検査で判明したのは
歩み寄ってきた大会責任者が「治療が必要だから、退場しろ」。藤本選手は「大丈夫です。ここにいます」。
「大丈夫だと言うなら、走ってみろ」
「分かりました。走ります」
藤本選手は足を引きずりながら跳馬の助走路を駆けた後、強制的に医務室へ運び込まれた。応急処置が終わって競技場へ戻ろうとしたところ、なぜか医師は「ダメだ」と告げて、部屋から出ていった。藤本選手がドアノブを回すと、何と外側から鍵がかかっている。「誰かいませんか! 戻りたいんです!」。声を張り上げても、反応はない。わずかに聞こえる歓声が日ソどちらの演技に向けられたものなのか、判断できるはずもなかった。
不可解な処置の理由は、今でも闇に包まれている。図らずも打倒・日本に執念を燃やすソ連のチトフ氏が国際体操連盟の新会長に就任したばかりで……。まあ、それはいい。とにかく藤本選手は絶望のどん底にたたき落とされ、医務室のベッドに腰掛けていた。
「プラス思考なんて、とんでもない。日の丸の旗じゃなく、たくさんの先輩方の顔が浮かんだ。『先輩方が築き上げた伝統も、自分のせいで途切れる』。そう覚悟して一瞬、自殺も頭をよぎったよ」
自由演技の終了後、ようやくドアが開いた。競技場へ急ぐと、仲間たちが涙を浮かべて抱き合っている。奇跡的な逆転優勝。表彰式出席を辞退しようとした藤本選手は、監物永三選手に「来い。歩けなければ、おれが手を引いてやる」と促され、表彰台に上がった。「一人ひとりメンバーの顔を見渡して、また先輩方の顔もよみがえってきて『ああ、これで海に飛び込まなくて済む』と思ったね」
医務室で聞いた、あの歓声。大半が、5人で奮闘する日本チームの背中を押すものだったと知った。
橋本が表彰台で見た「今までに見たことのない景色」
さて、47年後の体操ニッポンはどう戦ったか。
第4種目の跳馬で、最終演技者の南一輝選手(エムズスポーツクラブ)が着地を止め、平行棒のフィニッシュも全員がピタリ。締めくくりの鉄棒は、萱和磨選手、千葉健太選手(ともにセントラルスポーツ)に続き、橋本選手も着地で微動だにしなかった。王座奪回を確信したメンバーは拳を突き上げた。
表彰台の真ん中に立ち、「不思議な感覚でしたね」と橋本選手が言う。
「今まで見たことのない景色でした。個人種目での優勝と違って、隣に金メダルをかけた仲間が立っている。『取りましたね』と言葉を交わせる。何となく、団体の金メダルを持っていないと体操ニッポンを名乗れないような気もしてたんです。本当はそんなことないんでしょうけど、『これか』と思いました」
これか――。それは多分、「お家芸」にふさわしい勝負を演じ、「お家芸」の重圧を克服し、「お家芸」の系譜に名を刻んだアスリートだけが共有できる、特別な感情だった。
1952年ヘルシンキ五輪の代表で、指導者や研究者として日本体操界の黄金期を作り上げた金子明友氏は「日本が強いというだけでなく、歴史的な厚みがあるということにもとどまらず、極端に言えば、日本人の精神構造にフィットするようなものを持っているのが『お家芸』ではないか」とみる。
実を言うと、筆者も同感。「成績のいい競技=お家芸」の単純な図式が広がりつつある点に、いささか違和感を覚えており、何かしら日本の美意識を表現できるものが「お家芸」であってほしいと願う。だからこそ、2021年東京五輪で柔道男子の大野将平選手が試合会場の畳に落ちていたちりを拾い、金メダルを獲得しても対戦相手への敬意を失わなかった姿勢に、「さすが『お家芸』の代表選手」と心を打たれた。
ところで、イグ・ノーベル賞の宮下教授と中村特任准教授は、食器に微弱な電流を通すことで味覚を変化させる研究に取り組んだ。企業との共同研究で、塩味を強めるスプーンやおわんを開発しており、高血圧に悩む人々の「減塩食」に十分な塩味を加えられるのではないかと、期待されているという。
ユニークな発想だけでなく、日本人特有の細やかな思いやりによって成果を上げた研究であるならば、それは十分に胸を張れる「お家芸」だと思う。