ローマ教皇フランシスコが死去、88歳 核兵器廃絶訴え

【ウィーン=金子夏樹】第266代ローマ教皇フランシスコ(88)が21日、ローマ教皇庁(バチカン)の居室で死去した。バチカンが発表した。10億人を超えるカトリック教徒の最高指導者として核兵器の廃絶など平和を訴えたほか、世界の貧困問題に取り組んだ。
バチカンは今後、葬儀と80歳未満の枢機卿の互選による新教皇選出選挙「コンクラーベ」の準備に入るとみられる。
教皇は肺炎を患い、2月中旬から1カ月以上にわたってローマの病院に入院した。退院後は在宅医療を続けていた。
4月20日にバチカンのサンピエトロ広場で開かれた復活祭(イースター)の行事に合わせ、集まった信者らの前に姿を見せていた。
1936年12月17日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生まれた。本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。98年からブエノスアイレス大司教を務め、2001年に枢機卿に任命された。
前任のベネディクト16世の退位を受け、13年3月、コンクラーベで史上初の南米出身の教皇に選ばれた。
就任後は聖職者による児童への性的虐待や宗教事業協会(バチカン銀行)での資金洗浄疑惑といった難題に取り組んだ。バチカン運営では外部専門家でつくる改革委員会を設置するなど改革を推し進めた。
司祭が同性カップルに祝福を与えることを認めるなど、過去の教皇よりリベラルな対応で知られた。
外交面では19年の訪日時に被爆地の広島、長崎から世界に核兵器廃絶を訴えた。米国とキューバの歴史的な国交回復を仲介した。国交がなく、独自の司教を任命したことで対立してきた中国とは18年に任命権を巡る暫定合意を結んだ。
人工知能(AI)の軍事利用への規制も提唱した。24年6月にイタリアで開いた主要7カ国(G7)サミットには教皇として初めて参加し、国際的なAI規制の議論をリードする姿勢をみせていた。
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