[go: up one dir, main page]

Mihailo Petrovic's effect ミシャ・エフェクト 日本サッカーに刻まれるDNA

ミシャ来日
17年前の衝撃

日本サッカーに大きな影響を与えた人物がいる。コンサドーレ札幌のミハイロ・ペトロビッチ監督、愛称ミシャ。2006年に来日したミシャが持ち込んだサッカーは衝撃をもって迎えられた。リスクを恐れず攻撃的なゲームを展開する、その先進的な独自のスタイルに魅了されるひとは多い。日本代表の森保一監督もそのひとりだ。

攻守で変化するシステム

ミシャが日本に持ち込んだのは、攻撃時と守備時で選手のポジショニングが入れ替わる可変システムだ。ボールを持つ攻撃時は中央のMF1人がDFラインに入り、GKを含めた3人から組み立てる。前線の人数を増やし、両サイドを厚くする。守備時は左右のMFが下がって厚みを作る。流動的に動くことで、素早く効率的に攻守を切り替える狙いがある。今では、日本の他のクラブでも当たり前のように採用されている。

攻撃時

守備時

これがミシャ・サッカーだ

右サイドのスローインから生まれたミシャ・サッカーの象徴的な得点。札幌の複数の選手が流動的に動きながらパスをシンプルにつないで崩した。まるで選手が次から次へとわき上がるように見える。シュートを含めてワンタッチプレーの連続で選手が頭も体も休ませていないことがわかる。局面が目まぐるしく変化し、守る側を無力化している。(2021年11月27日、J1第37節 対柏レイソル戦)

ミシャの歩みと
影響を受けた日本人

をタップすると詳細が表示されます

肩書は当時

森保監督
継承されるDNA

2006年、ミシャさんが広島監督に就任したとき、森保監督は広島の育成コーチだった。

「すごいな、と感じたのは、練習メニューが常にマイボールから始まっている点だった。チームづくりは守備から入るのが普通。ミシャさんの練習は、ボールを持って攻撃を動かすところから始まる」

「プレーを見ながら、『違った判断もあったのでは?』『あそこの状況が見えていたのか』と気づきを与える。状況に合わせてプレーすることを自然に働きかけることで、選手の個人戦術の部分を伸ばせる指導だと感じた」

サンフレッチェ広島のJ1残留を目指し、身振りを交えながら熱心に指導するミハイロ・ペトロビッチ監督。左端は森保一コーチ(当時)=2007年11月21日、広島・吉田サッカー公園、日刊スポーツ

ミシャさんの後任として広島監督に就き、リーグ優勝に導いた。

「ミシャさんがチームに残した財産を引き継がせてもらい、私は守備の部分に手をつけた。チームに残っていたサッカーを変えようとは思わなかった。攻撃的で魅力的な部分を失いたくなかった。自分たちのボールを大切にしてゲームを進めることをコンセプトにしていた」

指導者はどうあるべきか指導者として共鳴する部分とは。

「成長させるのが指導者の原点と考えれば、ミシャさんの指導はまさにそのもの。彼がやりたいサッカーは日本人に合うサッカーだと感じた。とくに、サッカーは考えて走らなければならないという点で、強い影響を受けている」

サンフレッチェ広島がJ1初優勝を果たし、チーム全員で喜び合う森保一監督(前列中央)=2012年11月24日

ミシャから日本代表へ
「大切なのは勇気と自信」

三つのクラブを渡り歩きながら、ミシャが日本で過ごした時間は17年を数える。

この間、日本サッカーは大きな進歩を遂げたと認める。7大会連続出場で挑むW杯カタール大会には期待とともに、注文もつけた。

「欧州のクラブで多くの選手がプレーし、選手の質の部分なら対等にやれる。彼らは欧州のリーグでも重圧のなかで戦っている。W杯でも力は出せるはず。大切なのは、勇気と自信を持って臨めるかだ」

その言葉は、2006年にサンフレッチェ広島の監督に就いた当初から日本の選手たちに繰り返してきたものだ。

「日本では、ミスを恐れる分、自分で判断してプレーする責任に欠ける選手が多い。しかし、安全なプレーでは相手に脅威は与えられない。恐れる気持ちこそが一番の敵だ」

国際親善試合キリンチャレンジカップの米国との試合に臨む日本代表の選手たち=2022年9月23日、ドイツ・デュッセルドルフ

日本サッカーへの提言を求めた。それは、「ミシャさんから影響を受けている」と認める森保一監督へのエールにも聞こえる。

「監督にとって怖いのは結果で責任を問われることだ。しかし、自分のサッカー、チームを作り上げるための信念を貫くことだ。勇気を持って攻撃を仕掛ける覚悟を持たなければいけない」