■著名人インタビュー
2023年12月に立命館アジア太平洋大学(APU、大分県別府市)学長を勇退した出口治明さん。学長就任時からの念願だった新学部「サステイナビリティ観光学部」を23年4月に開設し、その船出を見届けたうえでの退任でした。新学部の準備段階だった21年1月に脳卒中で倒れ、体の右半身のまひと失語症が残りましたが、1年以上に及ぶリハビリの末に大学に復帰し、学長退任後も学長特命補佐としてAPUに残り、東京キャンパスに出勤しています。いまの思いを、朝日新聞Thinkキャンパスの平岡妙子編集長が聞きました。
起きたことを嘆いても仕方がない
――2期にわたる学長を退任されて、おつかれさまでした。任期中の3年前に脳卒中で倒れ、現在は車いすでの生活なのですね。
いまは電動車いすを使って電車にも乗りますし、買い物にも一人で行きますよ。言葉はゆっくりですが、話せるようになりました。伝わりにくいときはノートに書いたり、タブレットを使ったりして伝えるようにしています。
――病気で倒れてから、1年3カ月で学長に復帰しましたが、当時は復職できるか不安だったのではないでしょうか。
いえ、不安はまったくありませんでした。
――まったくですか?
はい、まったく。具合が悪くなって倒れて、気づいたときにはもう右半身は自由に動かせず、言葉も出ませんでした。でも、3秒ぐらいで考えました。「仕事に戻るためにはどうすればいいか」と。起きてしまったことは仕方がないこと。嘆いたり悔やんだりしても意味がありません。
――えっ、たった3秒ですか? それは驚きですね。
(左指を3本出して)3秒です。仕方がないことを考えても、時間のムダです。その頃の僕には、新しい学部の開設と、コロナ禍で大きな影響を受けた学生の支援という2つの課題がありました。だから一刻も早く現場に戻りたかったのです。嘆く時間があれば、リハビリをしようと思いました。
――話すことも体を動かすことも難しいとなると、多くの人は落ちこんでしまうと思います。どうして不安にならずにいられたのですか。
楽観主義なんです(笑)。でも楽観的でいられるのは、いままで培ってきた知識があるからだと思います。ダーウィンの進化論でいえば、何が起きるかは、だれにもわからないし、強い者や賢い者だけが生き残るわけでもない。ただ、その環境に適応した者だけが生き残ると、ダーウィンは言っています。つまり「運」と「適応」なのです。運は人間にはコントロールできませんが、その状況になったときにどうするかは自分次第です。川の流れに身を任せながら、そこでできる最善を尽くしたいと思いました。
出口さんは2018年にAPU学長に公募で選ばれて就任。2期目の2021年2月に脳卒中を発症。右半身まひと失語症という後遺症が残りました。動けない、話せないという状態からリハビリを続けるなかで、歩く練習か、失語症からの回復か、どちらかを選ばなければならない選択に迫られました。そのとき、妻は医師たちに伝えました。「世の中に求められているのは、この人の言葉です」。その後、「あー」と声を出す訓練から始まり、言葉を取り戻すためのリハビリに取り組みました。話すことだけでなく、利き手ではない左手で、文字を書く練習もしました。その原動力は、「学務に戻りたい」という一心でした。熱心なリハビリの結果、周りが驚く奇跡の回復力を見せ、2022年4月、別府市での入学式に車いすで登壇し、祝辞を述べました。
障害者になり、多くの発見があった
――リハビリは大変だったと思います。多くの時間を失語症の回復のために使ったそうですね。
毎日のリハビリは大変でした。でも、済んだこと。大変だと語っても仕方がない。前へ進んでいく。それが人間です。
――リハビリから復帰する訓練を通して学んだことで、いま、学生たちに伝えたい思いはどんなことでしょうか。
「済んでしまったことを悔やむ」のは、一番人生をムダにする行動です。どんなに考えても、済んでしまったことは元に戻りません。そんなことで時間をムダにせず、次に何をしたらいいかを考えて、行動してほしいと思います。
――復帰までの時期は、ちょうどコロナ禍でもあり、留学生が半数のAPUは大変だったと思います。
でも悲観はしませんでした。中世ヨーロッパのペストの大流行をはじめ、人類は過去に数多くのパンデミックに見舞われましたが、終息しなかった感染症は一つもありません。コロナも必ず終息すると考え、まずは母国からの仕送りが途絶えてしまった留学生をはじめ、学生たちをどう支援し、コロナが収まった後の大学をどう進めるべきかを考えました。
――車いすの生活になって、いままで以上に障害者も含めた多様性への対応や必要性を実感したのではないでしょうか。
自分が障害者になったことで多くの発見がありました。なかでも痛感したのは、「障害者の行動を制約するのは、その人の身体的な機能のせいだけではない」ということです。東京はバリアフリーが進んでいるイメージがありますが、たとえば僕が一人で山手線に乗った場合、駅職員の介助なしで乗り降りできるドアは2カ所しかありません。山手線は11両編成で、乗降口は各車両4カ所。ドアは全部で44カ所あるのに、たった2カ所なのです。それが10カ所に増えるだけで、車いすの人はもちろん、ベビーカーの人にとってもずいぶん楽になると思います。
――地方のバリアフリーはもっと遅れているとも聞きます。
東京は進んでいますが、地方のバリアフリーはまだまだです。ただ、APUのある大分県別府市には、社会福祉法人「太陽の家」があり、障害者をサポートしたり、車いすでも利用しやすいスーパーマーケットがあったりします。別府市は共生が実現されている町です。こういう施設が全国的に増えてほしいと期待しています。
自分にできることから実行を
――学長を2期務めて退任されましたが、その中で印象深かったことは何ですか。
サステイナビリティ観光学部を23年4月に開設したことです。資源の少ない日本という国は、観光以外で「売れる」ものはありません。観光を成立させるためには、サステイナビリティであること、つまりその地域が持続可能であることが必須です。APUでは、人と地域、地域と地域、そして人と人をつないでいける人材を育てていきたいと考えています。
――新学部の開設時にAPUは「第2の開学」を宣言しました。今後のAPUはどのように変わっていくのでしょうか。
APUの学生は約6000人いて、そのうち約半数が国際学生(留学生)です。学生の出身国や地域は100カ所を超えます。APUではこれらの学生を「混ぜる」ことで、異文化を肌で理解し、たくましさやしたたかさを学ばせたいと思ってきました。でもこれからは、「混ぜる」に加えて「解を出す」ことを追求してほしいと考えています。
ロシアのウクライナ侵攻や、重大な気候変動など、現代社会が抱える問題は複雑に絡みあっています。すべての当事者が納得できるような明快な「解」がないと感じるかもしれません。そんな状況だからこそ、もっともっとどうしたいのかを考え続けてほしい。自分が信じる「解」を導き出して、それが正解なのかを実際の行動で確認できる、そんな学生を育てていきたいです。
――「解を出す」とは、知るだけではなく、行動するということですね。
情報が多すぎる社会だからこそ、知るだけで納得してはいけません。現実を受け止め、そのうえで自分に何ができるのかを考えて、できるところから実行することが重要です。
――現状に絶望するのではなく、目標に向けて小さな一歩を踏み出す。それは出口さんの生き方とも一致しますね。いま、学生たちに望むことはどんなことでしょうか。
成功とは、99回の失敗のあとに訪れるかもしれません。何回失敗してもあきらめず、挑戦し続けてほしいと思います。そのためにも友達をつくり、相手を知ろうとし、貪欲に学び、だれも行ったことのない場所に行き、やったことのないことにチャレンジしてほしいですね。時間は短い。現状を嘆くより、前に進みましょう。
――出口さんのチャレンジも続くのでしょうか。
もっともっとAPUの価値を日本中の人に知ってもらいたいです。これまで166カ国・地域から学生が来ていますし、海外には27の校友会があります。世界で活躍するリーダーが育ってほしいです。僕自身もチャレンジを続けて、もっと本を出していきたいと思っています。
――ますます意欲的ですね。どうもありがとうございました。
出口治明/1948年三重県生まれ。立命館アジア太平洋大学(APU)学長特命補佐。京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社などを経て、ライフネット生命保険を創業し、2012年に上場。APUの学長公募で他薦を受け、18年、学長に就任。21年に脳卒中で倒れ、リハビリの後、大学に復帰した。24年1月から現職。『一気読み世界史』(日経BP)、『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)、『人類5000年史』シリーズ(ちくま新書)など著書多数。
(文=神 素子、写真=加藤夏子)
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