[go: up one dir, main page]

このコンテンツには遺体の写真や映像が含まれています。ロシア軍による民間人の虐殺の実態を伝えるため、加工せず掲載しています。

コンテンツを見る
ウクライナ国防省の公式ツイッターから

死の通り ブチャ 生存者の証言

記事を読む

これが撃たれた傷。銃弾は背中から抜けました。

男は苦しそうな表情で左肩の傷を見せてきた。

2022年5月13日。

私はウクライナの首都キーウ近郊の街ブチャにいた。

そこからさかのぼること1カ月。

この街の最南部を東西に走る「ヤブロンスカ通り」の映像がSNSで拡散され、世界に衝撃を与えた。

路上に放置された遺体。1人、2人……。

遺体を避けるようにジグザグに走る車……。

通りには、自転車の脇に倒れている男性もいた。

ロイター

見覚えがあったから、すぐにわかりました。近所のウラジーミルさんだって。

こう話すのは、パブロ・ブラソブさん(36)。自身も左肩を撃たれた。

ヤブロンスカ通りはいま「死の通り」と呼ばれているという。

ロシア軍のブチャ占拠は約1カ月。

多くの民間人が虐殺された。

「死の通り」の生存者たちの、証言を聞きたい。

ブラソブさんにお願いした。

えっ? ヤブロンスカ通りを歩きながら、当時の説明をしてほしいって……?

しばらくの沈黙のあと、苦笑しながら彼は言った。

では、行きましょうか。

私たちは「死の通り」に向かって歩き始めた――。

ヤブロンスカ通りは、なぜ「死の通り」になったのか?

生存者らがロシア占領下「空白の1カ月」を語る。

有料会員記事こちらは有料会員記事です。
有料会員になると続きをお読みいただけます。

Chapter1狙撃された男性

「死の通り」に放置された遺体を運ぼうとした瞬間に向けられた銃口。なぜ彼は助かったのか。 Next
関連リンク

JavaScriptが無効になっています。

ブラウザの設定で、JavaScriptを有効(ON)にしてください。