訳語田幸玉宮(おさださちたまのみや)は、第30代・敏達天皇(びだつてんのう/在位:572〜585年)が営んだ皇居である。 当初は「百済大井宮(くだらのおおいのみや)」に都を置いたが、占いの結果により磐余(いわれ)の地へ遷都したと『日本書紀』に記される。 訳語田幸玉宮(おさださちたまのみや)は、仏教受容をめぐる政治的対立や、朝鮮半島との外交政策など、飛鳥時代初期の激動を象徴する舞台だった。 現在の奈良県桜井市の戒重(かいじゅう)または太田地区がその候補地とされ、春日神社の前に「伝承地」の看板が立っている。 敏達天皇の前、父・欽明天皇の宮は「磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)」だった。仏教が…