大友皇子は太政大臣=執政王として君臨し外交政策を主導。百済官僚に支えられ唐と手を組み新羅を打倒し、百済復興の名の下、任那復興を企図する。 大友皇子の立場 大友皇子は母が伊勢首出身で皇女ではないことから祭祀王としての大王にはなれない。一方で執政能力は大変優秀で、祭祀王天智天皇のもと、執政王としての活躍は大いに期待されていた。(継体持統㉕:祭祀王と執政王 - 上古への情熱) この執政王に対し、天智天皇は新しい官職を用意して祭祀の天皇と区別した。それが太政大臣である。 初代太政大臣が大友皇子であり、二代目が高市皇子である。高市皇子は日本書紀では高市皇子命と「命」をつけているが、執政王としての尊称であ…